「記号接地」問題
AIは、言葉と感覚とがつながっていない言語を話す。
アメリカの認知科学者のスティーブン・ハルナッドは、記号の意味を記号のみによって記述しつくすことは不可能と指摘し、基本的な一群の言葉はどこかで感覚と接地(ground)していなければならない、と論じた。母語の語は、「感覚に接地」しており、それを通じて、設置していない外国語も理解が可能になる。 (今井むつみ・秋田喜美著『言語の本質』)
今日は、この本を読んでしまい、人間は、生まれて以来、いろんな感覚と一緒に言語を習得していき、「アブダクション」(仮説形成推論)を通して、言語を発達させてきた、という主題に大いに納得した。やはり、「気持ち」や「感覚」や「体験」と結びつかない言葉は、共感も生まないし、伝わりにくいものなのだ。「感情のバター」を載せた会話が重要と、「エンカウンター・グループ」で言われたことの理解も進んだし、「本音」で語ることの重要性も納得できた。
面白いことは、「感覚」と接地していないと、「知性」もうまく育たないということ。上手な推論こそは、認知の扉を開くということ。ヘレン・ケラーの「水」の知覚のように。たとえば、単なる行動の記録では、ちっとも伝わらないし、推論も成り立たない。さらに、間違った「一般化」ばかりでも、「真実」から遠のくばかりである。心弾む体験と、主体的な行動が言葉を磨くのだ。
今日も、「生成AI」とか「チャットGPT」とかの報道があったが、それは、われわれがあまりにも考えもせず言葉を使い、言葉を軽んじているからこそ、言い知れぬ「不安」を抱えていることの反映のようにも思える。「接地」を踏まえた言葉を大いに使い合いたいものだ。(7.8.)