「表現の会」を前に
明日の日曜に、「表現の会」が二つ行われる。自作の歌や民謡、そして詩の朗読をやるつもりだ。それに関して、昨日、以下の詩を書いた。
場違い
みんなに比べて、あまりに下手で、音痴なものだから
参加者の中で、飛び抜けた高齢者であるから
肩書もなく、一介の国語教師でしかないから
つい「どうも場違いなところにいるようだ」と、つぶやいてしまう。
(いや、いじけて、そう思ったのではないのだが……。)
なにをおっしゃる、あなたは本会の中心的存在だ
お互いの表現を通して、信頼を築き、世の中を良くしたいので
上手下手、玄人素人、年齢性別などを越えて、交流していくのが趣旨
主催者たちが気を使ってくれるが、「場違い」感は払しょくできない
(いや、その気遣いの向こうに、行こうとしていたのかも……。)
もしかしたら、参加者とまだちゃんと出会ってないからかもしれない
まだ遠慮と気遣いが先行していて、互いの気持ちを確かめ合っていないし
いや、一つの考えや思想になりたいのでなく、方向が見えないからかも
自分の資質、才能の低さは気にせず、行動するのみとは思いつつも
(いや、もう少しましな「出会いの場」に行きたいのかも……。)
それはきっとみんなもそうなのだろう、継続と展開の途中だから
たとえ世間にも注目され、プロの表現者と生きていけたとしても
集いの意味に多くの賛同を得て、リーダーとして活躍できたとしても
どこかに、ここではないどこかへ、行くべきだと思っているからかも
(いや、「場違い」感こそ、ずっと保持すべきことなのかも……。)
普通の人が普通に詩を書いて、そのことによって、自己を高められ、それを朗読することによって、あるいは歌うことによって、新しい関係性がこう説くされることは望ましいことだと思っている。