「老後」と言うけれど……
「金で狂った、空っぽな人生でした。」という作家(「ホームレス作家」を卒業した、と新聞に紹介されていた)赤松利市さん小説『犬』を読みかけて、「老後」のことが気になりだした。一時は年収2千万もあったのに、結局は、ホームレスになり、漫画喫茶で小説を書き、人生を変えたという、その生きざまにひかれたのであるが、かれはまだ64歳。そして、その小説も、トランスジェンダーの老後をテーマにしている。主人公は、ゲイバーを運営しながら、昔の男とのことが忘れられず、貯金の1000万円を彼に貢ぐかどうか悩んでいる63歳。たしかに「老後」の不安を感じる気持ちはわかるのだが、77歳のわたしにはなにか悩ましいのである。というのは、わたし自身、「年齢」をあまり実感していないところがあるからだ。先生は、さかんに「年齢」も「経歴」も「金の有無」も関係ないと導いてくださるし、わたし自身、正直言って、頭が禿げたこと以外に、心身の衰えを感じていないのだ。高校生たちと同じ気分を共有出来て、喜んでいる。昨日も、出口治明さんの『「教える」ということ』を読んで、感動し、読書メモまで作って、さあ、これから良い教育を展開するぞ!と張り切っていたぐらいだ。人間、生涯学ぶことをやめるべきでないし、考え続けるべし、というのが信念。主人公のように、「老後」のことなんか、意識にない。と強がっているだけかとも思うのだが、こうして書き込みしながらも、冷静にそうなのだと思う。だから、なにも「老後」なんて言わずに、人生どう生きるべきか、を問題にすべきなのだと思う。「年齢」も「性別」も「金銭」も、分かりやすくとらえず、いろんな在り様として考え、格闘していけばいいのであって、結論なんか分からないのだろう。そう思索している。