「結工房のなりたち」を読む
学校の会議が始まる間の待ち時間に、先日、京都の応用講座の際に、手に入れた「結工房のなりたち」を読みました。9年前の東北大震災以来、仙台や盛岡、そして山元町に「いだき」の拠点ができ、その取り組みの真摯さに感服していましたが、いま一つ自分のものになっていなかったのです。わたし自身、水沢や盛岡でのコンサートにも出かけたり、盛岡の知人たちに紹介してきましたが、やはり遠いところのことのようにも感じていました。それが解消され、改めて高麗先生の意図と情熱が身にしむ思いがしたのです。山田町での「犠牲者追悼慰霊コンサート」までの経緯は、日本を救う道の創設であり、苦心であったこと。宗教ではなく、コンサートで、「苦しみ」を「光」に変える実践であったことがよく分かります。また、「好摩」という地名に、「駒形神社」に、「高麗」を感じ取られ、水沢アテルイの里に「KOMA」を見つけられ、拠点づくりの励みになっていること、「人間の在り方を根源的に変えていく道のり」の中で、「結工房」が創設されたのだということがよく分かりました。そして、これは「コロナ禍のいま」に通じる動きでもあるのだと思いました。よく、これからは「新しい生活様式で」などと言いますが、具体的にどう行動するかはわかりません。このパンフレットを読めば、魂の出会いのようなものがあり、地霊の導きもあり、そして、苦しみを越え、ともに新しく生きていこうという「本音」があってこそ、ことは次第になっていくのだと分かりました。――ともあれ「休校」を強いられている中で、どうしていっていいか、分からないで、困惑を深める学校でしたが、わたしは、少し離れていることが出来ました。
安倍一族が高句麗系の士族であることは、知りませんでした。秋田には民謡研究でよく行ってましたが、美郷町六郷で、世話になった人が安倍さんだったので、何か不思議な縁を感じました。前九年の役で滅亡した安倍氏は、俘囚などと言われてますが、なぜ朝廷に負けない勢力を持ちえたのか、気になっていました。この急場を乗り切って、東北を再訪できる日の早からんことを祈っています。