「病気にしがみつく大人の醜悪」
土曜日に学校でうつされたのかも、喉の痛みと鼻かぜで、ぐったりしている。それでも、「その未来は幸せか/希望は言葉の中に」というインタビュウ記事(朝日新聞、1/6)に導かれ、多和田葉子の『献灯使』を読んでみた。「厳しい現実に硬直しそうな思考を前に前に進める鍵は“言葉”が握る」とも。「表現する言葉に喜びがなきゃあだめ」とあったから。だが、風邪の身にはハードだった。
大きな災厄に見舞われた後の日本の未来社会。100歳を過ぎる主人公の作家が、体の軟弱なひ孫と暮らしているという設定。そのひ孫が「献灯使」として海外へ出発するまでの経緯が語られるのだが。言葉遊びと発想の転換の連続であって、面白いが正直読みづらい。内容の展開がなく、感動が深まらない。だが、こびりついた常識や習慣を一掃してくれるのがうれしくてついつい呼んでしまった。(文庫本に収録された他の作品も同様)「実は自分は“老人”ではなく、百歳の境界線を越えた時点から歩き始めた新人類なのだ」とか、「人間の退化ではなく)本当は進化なのかもしれない」とか。あまり「希望は言葉の中に」とは思えなかったが、その未来社会は、「言葉の寿命がどんどん短くなっていく」のであって、いつも新しい柔軟な言葉で新人類たちは、「新幸福感」の中にいるらしい、ことに希望は持てた。「病気にしがみつく大人の醜悪」からは離れていたいものだ。風邪に負けない知性は身についた。
2021年7月20日の風の森コンサートのCDを聞きながら心身を癒していると、無限を越える「聖なる力」が沸いて来るのを感じて、元気になって、これを書く。(1/22)