「疚しさ」から遠く
たまたま今読んでいる本の中に、「疚しい」という語が出てきて、しかも、はずかしくも、どうよむのかわからなかったので焦った。「やましい」とすぐに気づいたが……。(漢語辞典によれば、「疚」は、論語にも出てくるそうだが、「やむ」というやまと言葉の方が分かりやすく、「気が咎める」という意味なのだ。)
時折、ふっと疚しさにとらわれ、贅沢な場所にいると思えば思うほど、 心から楽しむというわけにはまいりませんでした。竹西寛子『管弦祭』
ところでもう一つの「陰惨な事柄」、すなわちあの罪の意識、すべての「疚しい良心」は、どのようにして世界の現われたのだろうか? ニーチェ『道徳の系譜学』
思えば、「疚しい」が読めないほどに、最近は「疚しさ」から遠ざかっている。
配慮や反省を失ったわけではないが、今の自分の在り方に疚しさは感じない。間違ったことはやってないし、いちいち神にお伺いを立てねばならないような思いも持ち合わせない。「いだき」受講のおかげだとは思うが、堂々として生きていられる。なかなかうまくいかないことばかり多く、苦しい状況が続くが、何、もうすぐ解決するさ、反省する暇があれば、つぎのことを考えようとする。