「特別な日」模索つづく。
「特別な日」という意味を考え続けます。「神の宮」のメッセージ、<鳥居をくぐると微かに感じ聞こえてくる生命の神秘>。神秘というと<愛は神秘というバイアスに親和性があります>とお聞きしたことを想像します。<バイアスをかきわけながら奥に潜むようにしてある生命の光>。
六月の迎賓館コンサートで「人は神の宮」とお聞きしました。今回の<身体があって存在することを見失っているから神秘>とのメッセージがあの時にキョトンとした自分の状態を表しています。しかし迎賓館のあの時、大本の「艮の金神」や出口王仁三郎に宿ったとされる「素戔嗚尊」を想像したのです。今はバイアスを感じていたと振り返ります。神の宮である人間、<身体があってこそ存在する生命の神秘>、一方で神社という「神の宮」で感じ聞こえる生命の神秘。わたしにはまさに「微妙」です。そして いだきしん先生は<今や生命の誕生をそのまま伝えます>とロームシアターでピアノを弾いてくださいました。
ロームシアターではいつもと違って演奏がはじまる前から演奏をお聞きする身体の用意ができていました。いつもなら二部の演奏の中盤あたりに漸く胸の奥が開き、自分では「宇宙への入り口」と捉えていますが、あの日は演奏前にすでにその受け入れ態勢ができていたのです。
突然ですが、「不老不死」と先生が今年に入ってからの講座などで時折つぶやかれていたことばが閃きます。裏返せば「永遠の生命」と捉えますが、人間は今のところ必ず死にます。しかし、ただ老いたり病に冒されて死ぬのではなく「健康に死ぬ」ことを先生から学んできました。今回の迎賓館の「デトックス」に繋がります。そして「健康な死」は生死ひとつであり、一元の源であり、生命の神秘と感じます。
「特別な日」という意味が数日経って少しわかってきましたが、この時間差が「微妙」どころか飛んでもないズレではあります。時間に縛られているからです。直観が頼りで何とかここまで来ましたが、風雲急なこの時代を好機と捉え飛翔する竜に!!
余談ですがロームシアター翌日の一昨日の朝、アドバイザーをしている国の機関に呼ばれていたので東京に向かいました。かつてはこのアドバイザーで全国行脚をしていましたが、ここ最近は意味がないと判断し何もしていませんでした。今回はあるリサーチをするために引き受けましたが、結果は良好!!、国の職員もZ世代に大きな可能性を感じる機会になりました。ところが昨日九州に帰る予定が台風で足止めを喰らいました。2泊もすることになってしまった宿の名前は「昇龍館」?!、一昨日の夕方に 着いた途端思わず一人微笑んでしまいました。しかもこのところ九州で何かとご縁のある団体や機関の本庁本社等が集まる場所でした。今日は一旦九州に戻れそうです。2日から東北で引き続きよろしくお願い致します。
いつも尊い経験と自分で生きていく道ひらきのチャンスをありがとうございます。