「流れの本質」ど真ん中in熊本
昨夜、いだきしん先生のコンサートメッセージをお聞きし、魂の浄化、流れの本質を「菊池水源」のある熊本県で同時進行的に体験していたと今、感じています。
2月に入ってから、かつての古巣の民放テレビ局に行かざるを得ない状況があり、とても前向きな動きが起こっています。先生によって鍛えていただいてきた身体、そして自らもずっと絶え間なく「人間とは」の模索を続け、いだきの本質、いだきで生きるとは?を探求してきました。コンサートがある日を挟んだその前後は多くの人と交流する現場で活動すると、自分の生命を通して周囲の方々も活性化することは随分前から気づいていたことですが、今回は見事にその気づきが自然の流れとして起こりました。ただ、動いている最中はよくわかっていません。きっとそれは対象化することなく、その動きのど真ん中にいるからです。良き流れが意識化されていたのだと今わかります。この数日間の動きと周囲の変化を振り返ると明らかに「流れの本質」のど真ん中にいたと感じます。
先生の熊本城31時間連続ピアノ演奏をプロデュースさせていただいた24時間テレビ「愛は地球を救う13」 の前後に阿蘇の弊立神宮、久住高原、「菊池水源」、その後、八代市、宮崎県の椎葉村、阿蘇小国町・・・、子守唄の里五木村から、天草のイルカウォッチングまで県下くまなく歩いていただき、ピアノ、シンセサイザーで大地と天を繋ぐ即興演奏を次々としていただきました。平成7年にりんごが木から落ちるように自然と民放テレビ局を退職、起業の道へ進みました。これも今振り返れば「いだきアントレプレナーへの道」へ歩き出す第一歩でした。当時は能力の限界を感じ、この熊本県での多くの貴重な経験を生かせないままに迷走する期間が長く続きました。しかし求め続けてきました。
平成元年に熊本市内で特別に開催いただいた いだき講座にて完全に別々にはたらいている「身体」と「頭」の状態がわかりました。それから幾歳月・・・、先生がよく教えてくださる「誰が何と言おうとオレは俺だ」という いだき精神!? を徹底してきました。目指すゴールは間違えてないとは自らのいのちが教えてくれていました。先生の講座等を受けて、ようやく一昨年頃からグレートターニングポイントを感じはじめ、昨年末頃から先生のメッセージの一つ一つが自分のことばになる前の写経のような感じでした。文字を離れるとすぐに忘れますが、自分自身のことばで表現する訓練が続き、先生のメッセージの表現が自分の探していることばだったと次々と血肉になっていきます。この30年間全国を歩き回っていますが、常に軸を熊本や福岡、九州に置いている意味も昨年あたりから見えてきました。
その頃に出会ったのが仙台の塩土老翁神です。存在としては塩土老翁神なのか?わかりませんが、九州から飛鳥、仙台へと移動していった軌跡が何だかとても親しみを持って感じられます。
どうすることも出来なかった運命を担っていた19歳の頃に播磨(兵庫県)から周防、熊襲の国熊本、九州へと向かっていった自分自身の人生航路は先生や高麗さんに出会う大事な道筋であったことは間違いなく、そこから16年後に運命を解いていただいてはじまった身体内の羅針盤の向きは未知との遭遇続きで冒険心に溢れていました。資質を生かした社会活動としての「テレビでむらおこし」の熊本モデルを創ってから全国を行脚しました。25年を経て再び九州に戻りつくという巡りも不思議でしたが、答えが見つかりつつあります。しっかりした交わりを得、新たなはたらきを得る「流れの本質」が「菊池水源」を通して先生の いのちから伝播する「いだきしんコンサート」の大いなるはたらきに心より感謝致します。いつもありがとうございます。