「死について」雑感
88歳になる秋田県の老女から長電話あり。何でも「夢にも思っていなかった薬の副作用」で、パーキンソン病になりかかり、死の苦しみを味わい、更に腰の圧迫骨折などもあり大変だったが、ようやく小康状態になった、しかし、「幻聴」が治らず、一方的にしゃべるばかりだが、許してくれと。もう17年も前、「さいさい」という民謡を調査していた時、増田町戸波のその人を訪ねたのが始まり。いつも「秋田りんご」を送ってくれていた。そのお礼に、17年前の訪問記を送ったからの電話だったのが、またたっぷり17年の話を聞いてしまった。「もうこれが最後になるかも。」――その言葉が残っている。
それにしても、どうしてこう「死」が多いのだろう。42000人以上の死者というこの度のトルコ・シリアの大震災のことは言うに及ばず、ウクライナ・ロシアの多くの戦死者……。ちょうど、「パラレルワールド」の本(村松大輔著『現象が一変する「量子力学的」パラレルワールドの法則』)を読んだところで、「人は死なない」のだと納得したところなので、いくら理論と現実の違いとは思っても、目が舞いそうな気分になる。災害だから仕方ないとは思っても、同じような悲劇は「パラレルワールド」も起こっているのだろうか。(この本の著者は、「地球平和」というミッションを抱えているからこそ、周波数帯に移り、今がある、と書かれている。なにか矛盾を感じてしまうのだ。)――人間いつかは死ぬわけだが、生きている間は「正気」でいたいし、「狂気」による死はなんとしても避けたい。また、災害死もできる限り少なくしたい。そのための英知を養いものだ。(明日の「死について」の前に。)