「歩く」効能
あまり気の進まぬ人と、今日も山歩きに出かける。今年30回目の山歩きだ。かれを嫌っているのでもなく、かれのきわめて「良識」的な価値観と神経質な感性がどうも合わない。しかし、「先生、月に一度は一緒に山歩きしましょうよ。」と言ってくるかれをむげにもしたくはない。自分とは異質な他人とどう交流していくかが肝要、などと山を登っていくのであるが、急坂にあえぎ、尾根に出て、眼下の神戸の街を見下ろすと、急に心がほどけ、蟠りが消えてしまうのだ。「来て良かったですね。」と二人で言い合う。摩耶山の天狗尾根は、もう風が強く、気温もぐっと冷え込んで、年末寒波の到来を告げていたが、心の中には、温かい受容力が沸いていた。
そのかれが、面白いことを話す。かれの一級下の男は、生まれながらの糖尿体質で、ずいぶんいろいろな病気に苦しんできたようだが、ある時、「少し歩いてみたら」と医者に言われたとか。投薬や治療にうんざりしていたかれは、素直に、その指示に従い、毎日一時間くらい家の近視床硬い続け、ついに体調の回復を得たという。先日、「視床下体」のことを思い出し、新しい知見によって、病気も老化も乗り越えていける、ということも思った。