「日本人の魂」
「平岡(三島由紀夫)君、どうしてぼくたちは米国に負けたのですか? 天皇陛下は現人神じゃなかったんですか?」
台湾人の少年のこの発言を引いて、『大日本帝国主義の呪縛』という詩を書いた友人と、オンラインの詩の朗読会で、午前中話し合った。かれは60代、40代の二人の参加者は、身辺の憂鬱と感慨に浸っていて、うまく話が通じ合わなかった。司会をしていた80代近くのわたしは、その三人みんなに違和感を感じるのだが、自分の書いた詩、『あれはなに?』(どうして木の名前を知らずに、毎日眺める山の名前を知らずに、過ごせるのか)も宙に浮いたままであった。それは宮崎さんの独りよがり、かえって迷惑ではないかという声に傷つく。
でも、「日本人の魂」って何だろう? 戦後のGHQの政策で日本人の魂は失われたのだと言う。その40代の一人は、「アメリカによって、高度成長させてもらったのだ。」と言う。そうじゃなく、江戸時代から続く探求心と精巧を希求する心と勤勉さ、そして自然の力ではないかと、思うのだが、自分自身は、いつも「不安」や「心配」(主に金銭的なものだが……)に襲われていて、ちゃんと生きていけないのだから、恥ずかしく、気後れしてしまう。
そんな気持ちで、昨夜の「コンサート」に臨む。昨夜の会場は少し寂しかった。人数の少なさだけでなく、「禊」の後なのだからか、みんな粛然としていて、気負いより、あるいは熱気より、真面目の中にいたように感じた。「身を清め、真からの自由を得て」「目の前にある自由をふと受け取り」というメッセージが心に染みる。そして、演奏は、ずっと清澄な谷川であり、「きよらかさ」であった。すっかり心身ともに洗浄され、「ふと」の機会がいっぱいありそうで、「不安」を向こうへ追いやってくれた。今日の二つの講座で、わが内なる魂に出会いたい。