KEIKO KOMA Webサロン

「抜ける」、「除く」、「生きる」。


いだきしん先生から「存在論」の帰り際に声をかけてもらった一言をいつもながら「凄いなあー」と感じつつホテルに帰ってからずっと考えています。「図星なんだろうなあー」と、どこかでわかりつつも明確な返事をできないままでした。昨日の存在論は私にはアントレプレヌールサロンでの「抜ける」パート2でした。

存在論は先生の中学時代の入退院からはじまりましたが、いつもながらではありますが意外な「存在論」の展開でした。「薬」から抜けて、「病院」を抜け、「家」からも抜けていかれた先生の「抜ける」のはじまりは淡々と話されていますが、想像するに壮絶な11年間の戦いのはじまりとしか聞こえません。制度は確かに「人間」を縛りますが、制度に守られていることが多いことにも気づき、守るほうに傾くのも人間です。20歳になったからと言って入退院を繰り返している状況で戸籍を抜くという行為は普通はあり得ないと思います。先生の「抜ける」は本格的にこの時から始まったとあらためてわかりました。

誰にも世話にならないために故郷を遠く離れるという意識は自分にも17歳の頃からあったので、実行しましたが当時は戸籍を抜くとは思いもよりませんでした。知らぬうちに親の庇護の元に生きている安心感は一般的には最後の拠り所です。私もそうでした、抜けきれませんでした。

戸籍を抜き、しばらく暮らされた横須賀で福祉の仕事を知り、東北福祉大学へ行かれたとのことでした。薬や病院を抜け、20歳で死ぬはずが、それでも生きている自分があり、その意味を考えられ、結果的に「生きていくためには勉強が必要」と大学を目指されました。勉強する必要性、理由、意味を学びます。ことほど左様に先生の行為、行動は生きる必然性から決まり、その実践から考え方も整理されておられるので頭で捻り出す哲学ではなく、ごくふつうの人間が生きていく上で必須の考え方、生き方になっていったのが本当によくわかります。で、いつも私は先生を通して生き方の原点に戻らせていただきます。

「誰が何と言おうが俺は俺だ」、「親の言うことも聞かないのに何であんたの言うことを聞かないといけないんだ」。「あんた」とはこの世の人間だけでなくあらゆる存在を指されています。そして、この先生の二つのお言葉はいつしか自分の人生哲学の基本となりました。私には いだきしん先生の存在論の核心です。

アントレプレヌールサロンでは企業から抜けた話を中心に「抜ける」ことをお聞きしましたが、存在論ではすでに人間としてこの世の制度から「抜ける」ことからスタートされていた原点のお話をしてくださり、その後の仙台での大学(制度)との戦いへ自ずと繋がっていった一貫性が私の中で繋がりました。さらに一流企業から抜け、北海道のおばちゃんたちに出会い、老人ホームへと・・・、ここも主体的に抜けられました 。しかし、この世から「抜ける」には余計なものを「除く」ことが大きな課題になり、あらゆる「行」を経験されますが、その世界からも抜け出し、遂に「いだき」に行きつかれたと推察致します。その大きな課題を突破された力は何なのだろう?と、常に考える自分にいつも問うていましたが、漸く少し見えてきました。

いだきをはじめるまでの40年、はじめられてからの40年、そして昨日の存在論・・・・帰り際に先生から声をかけていただいた一言はやはり図星だったことがわかってきました。いつも尊い経験の場をありがとうございます。

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