「愛と死」について
昨日「死について」講演会について考えていると「愛と死」というテーマが見えてきて、講演会直前まで色々と考えていました。講演会がはじまると いだきしん先生のお話は私が昨日から考え続けていたまさにそのこととオーバーラップするようなお話でした。老人ホームで働いておられた6、7年間ほどの時期は空白の時があったと話され、その頃にもし死んでいたらどうなっていたかわからないというような意味のお話をされました。まさかいだきしん先生にそのような時期があり、その頃の死について語っていただけるとは思いもよりませんでした。じっとお聞きした上で、昨日から私の考えていたことと、私が考えた仮説についてお話させていただいた上で質問させていただきました。
わたしの「愛と死」のテーマの仮説(というほどの大げさなものではありませんが、ここではこの書き込みのために「仮説」とさせていただきます。)は「愛」や「宇宙の生まれる3段階前」の世界がわかる人にとっては肉体の死は「愛」や「宇宙の生まれる3段階前」の世界に戻る(還る)だけのことで恐怖も何もないのではないかというものでした。先生ご本人は死ぬようなご経験は5回ほどあり、すでに中学生の頃から死の恐怖はなかったと話されましたが、基本的に私の仮説が間違いではないことを教えてくださいました。
わたしがこの仮説に至ったのは最近の高麗さんの書き込みやビデオ講演会をお聞きしていて、「愛」や「宇宙の生まれる3段階前」の世界を体験され、宇宙の中心を感じるだけでなく宇宙の外にいる感じ(そこは宇宙の生まれる3段階前ではないかと)のお話で、とても安らいでおられる様子が伝わります。自分はまだその世界(レベル)には達してないものの高麗さんの書かれたり話されるお言葉を読んだりお聞きしていると迷いなくきっとそのような感じなのだろうと追体験していたのです。
一方、先生は35歳で「人間とは?」の問いに答えを出されました。その時には死についても答えは出ていたとのことでしたが、「人間の死」という大問題をそれまでの人類はよくわからないままに後世に伝えてきたんだなあとわたしは感じました。とはいえ、それはやはりよくわからないものだったということが今日大変よくわかりました。そして「死について」も明確に答えを出された いだきしん先生の偉大さに畏敬の念を込めて心より感謝申し上げます。
今日は応用コースもあり、この他にもいっぱいお聞きできました。特に「死に至る頭」については、今私たちが抱えている最大の課題であり、今回の集中修行で何とか解決の糸口を見つける気概で向かわないと大変なことになると感じます。先生には筆舌に尽くしがたいほどのご負担をおかけしていますのに、渾身の愛で解決に向かうように導いていただき、さらに課題解決の具体的な方法について伝授くださり、今日も愛の経験をフル稼働していただきました。いつも本当にありがとうございます。