「存在了解」
新型コロナウイルスの影響で低価格夜行バスというプレゼントに日帰りで参加が叶いました貴重な「存在論」でした。
「いだき講座」の理解が深まる「存在論」でした。一番衝撃的だったのは、いだき講座(いだきしん先生の解明されたこと、開発されたこと、先生の存在)開講以前は、存在了解するのは、いだき講座でいうところの、因子によってより了解し得ないとお聞きした時に、人間って悲しいと感じ、今はいだき講座を受講できて、コンサートにもたくさん参加できるので、現存在であれるし、現存在として存在了解できることが凄いことに、今更ながらわかり、凄い講座を受講できたことに、この生命を活かさずには先生に申し訳ない気持ちです。先生にお会いしたいのは現存在であれるから、現存在であれば、どのような状況でも幸せです。いだき講座に出会う前の自分は、自分という存在を決めているいろいろなものによって存在とは違うものにされて事物的存在になって苦しく、現存在で生きれる場を求めて、いだきに出会えたことを認識しました。いだき講座で生命体は球体とお聞きして、存在開示は四方八方ということに、周囲のいろいろなことが頭にあり、出来ないと思い込んで外側から生命体を潰していたことに気づきます。逆をやっていたのでした。現存在からはじめても、頭が潰しにかかる愚かなことはやめます。今の時は辞めなければ終わりです。苦しいのは自分の存在を否定しているからとのお言葉に納得します。先生とつながれる存在でいられればいいだけです。
存在論の前に、ビデオ講演会のお知らせのメールを戴きました。そのタイミングがこのKeiko koma web salon に自分の文章をアップした時とほぼ同じだったので、大いなる存在のお計らいと感謝の気持ちで涙が溢れました。こうやっていつも一緒だよと言ってもらっているようでした。久しぶりの六本木地下の高麗恵子ギャラリーに入ると展示されている作品も目にしたことが無いものも多くて晴美様の詩に高麗さんが余命幾ばくかの時、盛岡で北上川の水面に生命の光をご覧になり、いだきしん先生と出会うことができたことに魂の物語をみます。高句麗古墳の様とおっしゃる空間は五女山で星空の下、東明王様と一緒に過ごす時はこの様だったのではと感じるひと時です。魂の言葉で語りかけ、みんなで危機を乗り越え、元気に愉しく国をつくっていったのでしょう。現存在であれば何でもできます。
東京高麗屋さんで戴いたボルシチスープランチも食べたことのない美味しさに元気100倍です。
モスクワでの先生のコンサート開催されるということを深く理解し、3月31日の盛岡コンサートの動員のためのお手紙を書きます。
東京日帰りでしたが、あまりにも豊かな経験をありがとうございます。本日のジェンダー講座も大津の地にて共にあります。