「存在・ことば」と時間
生後6ヶ月で生まれた場所を間違えたと感じ、すでに言葉として理解していた、と いだきしん先生が前日の存在論で仰ったことが一体どういうことなのか?「存在」、「ことば」の本質、そして「抜ける」こと、全てがその時からはじまっておられたと感じました。答えていただく先生のお話に全身で集中してお聞きしている状態は ことばと共にジワリジワリとある何かが空間から伝わってくる感じがあり、直前のピアノ演奏ですでに体内環境、場、フィールドをも整えていただいていたのでした。内面がぐるぐるかき混ぜられ何もかもが一つになるような体感がありました。
自分の疑問から閃く様々な過去の瞬間瞬間は「今に生きる過去」と感じ、いつも以上に全身の集中力を感じていました。朝、目覚めた時にはタンザニアコンサートで先生が伝説のギターから奏でられた赤子の産声が蘇り、有難いことに いだきのホームページで聞けました。先生のお話を通して深められる体感と、仰ることが理解できずに時間差ができてしまう体感が交錯しながらも花々やひでこさんとの対話のお話で、先生の生後6ヶ月の時に戻していただきました。時間差が起こるところに弱点があり、解釈する頭、対象化する意識が邪魔です。
真のことばが人間のいのちから生まれる瞬間、全く誤差のない同時に発せられることば、張り詰められた心地よい緊張感。この最高の経験を日々途切れることなく内在化するプロセスが生きることになっていきます。いつも尊い経験の場をありがとうございます。