「変わらんから……。」
いよいよ選挙戦も終わり、明日は投票日。つい高校一年生の男の子に、「きみはまだ投票権がないけど、選挙のことは気にならないか?」と声をかけてみた。すると、おもしろくなさそうに、「変わらんから……。」と言うのだった。
いまの政治は変わらない、よくなんかならないと、どうして思うのだろうか。だれかがそう言っているのだろうか。もうこの年から選挙などで、政治がどうなるものでもないと思い込んでいるのだろうか。「変わらんかもしれないけれど、変えようしなきゃ、どうにもならないよ。勉強だって、自分自身だって、そうなんだよ。」と言い添えたが……。
かれは、どうやら分数が分かってないと、母親が連れてきたのだが、「学力」主義の今の学校教育の中で脱線してしまったらしい。たしかに、1/3と1/2とは、どちらが大きいか、聞くと少し時間が掛かって、やっと1/2と正解した。これは数字の抽象性が理解できていないからだ。声や動きや他者や自然の中で発せられた言葉の蓄積が大事なのに、「きちんと繰り返し教えれば理解するはず」という間違った教育観で、勉強を強いられた小学校教育の犠牲かもしれない。一学期末の考査で、数学は「1点」、国語は「7点」の結果に、さすが慌てたのだろう。放課後も自主的に居残り、余り通いたくない当方へも来るようになった。そして、きちんとノートも作成しているし、返答もきちんとする。数学は、学習指導書を買い与え、とにかくノートに書き移し、分からないところは、先生に聞きに行けばといいと指導。国語は、とにかく音読させ、言葉の周囲のいろいろなことについて話し、理解できているかどうか、確かめつつ、読みを深めていった。その結果、かれは決して頭が悪いのでもなく、理解力が弱いのでもないことが分かった。書き取りや読み取りは、まるでできないが、現代文の記号論や哲学の文章の内容は分かったらしい。「ギリ平均を上回りました!」と報告してくれた。「言葉」を感覚や経験とつながった状態で使用すること、抽象力を養い、他者感覚を持つことを念頭に、かれの十倍くらいしゃべって指導してきた。その過程で、ぽつりぽつり言うかれの言葉には、どうしても考えさせられてしまうのだ。ふだん、かれはゲームの世界で憂さを晴らしているらしい。だから、政治や世の中のことには、無関心でいられるのだろうが……。なんとか「両棲類」になってほしいものだ。
明日、投票しに行っても、なるほど政治も情勢も変わらないかもしれない。いや、自民党が過半数取れず、その結果、一層混迷してしまうかもしれない。それでも、われわれは「変容」と「創造」に向かって、少しでも前進していかねばならない。かれが選挙権を持つまでに、「変えよう!」と言わせたいものだ。そんなことを考える選挙前夜。(10/26)