「国語、ダルイ!」
ようやく慣れてきた高校二年生のクラスに入っていくと、教壇の机にそんなメモがあった。「だれが書いたのかな?」と笑いながら言うと、後ろの席の元気よさそうなAが、「先生、それはBが書いたんですよ。」と告げるように言う。Bが戸惑って、「僕じゃないですよ。Aですよ。」と口をとがらせる。その声を無視して、「Bくん、国語のどこがダルイの?」というと、もう教室は楽しそうな、面白そうな雰囲気に包まれる。生徒たちは、なんとか愉快なときにしたいらしいのだ。わたしをちょっと怒らせたいし、自由に発言したのだろう。わたしはこういう雰囲気が好きである。シーンとした中で、講義し、ノートをとらせるよりは。ちょうど、「世界を作り替えるために」という評論文をやっていて、「個人個人の違和感やどうしようもないズレ」が大切というテーマの文章なので、こういう悪戯は悪くない。うまく導入ができた。
かれらに、ウクライナ情勢についてどう思うか、と尋ねたところ、「もうプーチンを暗殺するしかない!」と声がいっぱい出た。かれらも、どうしたらいいかわからないのだろう。「じゃあ、日本も核を持つべきだろうか」と尋ねると、これは半々であった。しばらくやり取りして、広島や長崎のこと、福島の原発事故のことなど話し、「わたしは持たないで、戦争にならないように努力をしていくべきだと思う。」と言っておく。(2022.4.27.)