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「原罪」とは?


キリスト教のことは何も分かっていないのだが、この頃随分関心が高まっている。帚木蓬生の『守教』を読み出したのは、隠れキリスタンを扱っているといるというので余計そうなのだが、修道士が秋月藩の武士たちに説教するところで、「人間は大きな罪を犯しました。」とあり、「デウスに成り代わって善と悪を決めようとしました。」と説明しているのが、今日の応用講座特別編(7)の視聴していて、先生がなんでも「受容」が大事で、「裁かない」ことが肝要と言っておられたことと重なり、なるほどそれが「罪」なのかと少しわかった気がした。しかし、なにも知恵の実をたべなくとも、人間の頭脳は進化するはずだし、知性とは、何が真で、何が善で、何が美かと識別し、明日を建設していくことなのだから、当然「善か悪か」決めなくてはならないではないか。分別とも言う。どうして人間として生まれてきたことが、「罪」なのだとは考えにくい。まあ、今回のお話は、「カウンセリング・マインド」を持って、共感領域で対話をし、新しい知恵に目覚め、コロナ禍に負けない賢さと強さを養おう、ということなので、「原罪論」ではないのだから、妙に付会することもないのだろうが……。よく事実を見、よく考え、よく語り合い、生きていかねばならないのに、すぐに判断を求めたり、決めつけたりするのは、慎まなければならないと思った。

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