「人間」のスペシャリスト
いだきしん先生の存在は宇宙や神々、琵琶湖の海底深くにある霊魂や身体内に生きる数え切れないほどの数の細菌など様々な存在の「異次元的な共同が起こっている」肉体であり、その状態が強いいのちを育んでおられるとアントレプレヌールサロンで理解していました。
先生は異次元共同体(肉体)でそのいのちに出会って学ぶ我々は先生を中心とする異次元共同体(社会)の一員として自分自身の本来性のいのちを生きることが自分の存在を表すことと考えて来ました。伺ってみないとわからないもので、恐縮ながら最後に先生に当てられてこのことを表現しますと先生にとっては「異次元ではない」ことがわかり、まさに先生のいのちで一つとなっていく状態、「一元(論)」が先生の存在と理解しました。今や「存在論」ではなく「存在」を問う講座であると同じく「一元論」ではなく「一元の存在」と捉えます。
一方で「一つのいのち」なのに「対象化して見る」こともされているとのことでびっくりしました。科学については「対象化して見ないとわからない」と仰るお話で深い洞察力とはこういうことと本当に驚きました。次々と気づきの多い存在論、応用コースでした。
「今ここ」もずっと考えていますが、今に全力を集中することで勝手に過去や未来に思考を回らしたりしないこと、「『今ここ』を越える」とは五感を越えた繋がり、時空を越えた繋がり、共同体という意味もあるとのことでした。「人間とは異次元共同体」と仮定しますと、今、全ての人間にとって異次元共同体の中心は先生ということがごくごく自然にわかることが希望です。
但し、先生は常に命を賭けて生きて来られ、その過程で大切ないのちを失われたことをあらためてお聞きし、さらに「40年やって来て漸くわかり始めた段階」とのお言葉に「物事を真にわかる」こと、「真理を探求する」という想像を絶する全体性の極致は先生以外にできないと確信するようにわかり、「真理探求」などと自分が迂闊にはことばにできないと肝に銘じます。
当初よくお聞きしていた「人間のスペシャリスト」という意味もやっと理解する入り口に立ったと感じた二つの連続講座でした。3%もはたらいてない脳みそはいつもながら先生のスピードにはとてもとても追いつきません。しかし声をかけていただいたお陰で対話もさせていただき、この頭も、もしかしたらどこかで大転換して3%はたらき、さらに8%、10%もはたらき出す可能性を夢見る愛のフィールドでもありました。当初はよく天才養成講座ということもお聞きしていました。「今」、「天」が確か最初のCDタイトルだったと思い出されます。カセットを四六時中、車に乗ってる間は聞いていました。いだきしん先生が生まれられてから40年間探求し答えを出され、40年間伝え続けていただいた「いだき」。「やり続ける力」はやはり好きでないと内面から湧き続けないことも確信します。
いつも尊い経験の場を本当にありがとうございます。