「不要不急」の外出
昨日、まったく無駄な外出を6時間もしてしまった。お気に入りのバインダーがどうしてもすぐに欲しくて、発注して入荷を待つ心の余裕がなくて、大阪まで行き、天王寺、難波、梅田と歩き回り、文房具売り場や専門店をたずねたが、全く手に入らず、空しく帰宅したのだ。酷暑の中の歩き詰め、10キロくらい歩いたのかもしれない。気に入った傘を買ってしまうなどの無駄遣いまでしてしまった。しかし、なぜか憤懣も後悔もない。下らぬこだわりが、時間を大切に過ごさないミスを犯したというのに。むしろ、気持ちは清々し、体は軽く、頭は柔軟なのだ。なぜだろう?
あまりにも意義ある生き方をせねばならないという「抑圧」から解放されたからかもしれない。また、やはり「歩く」ことの必要を実践したからかもしれない。しかるに、もう一つ、太陽光を浴びたかったのではないかという理由が、今朝本を読んでいて、出てきた。テーマが「太陽光」で睡眠の質をあげる、というテーマの本だ。(C.ベネディクトら著『熟睡者』サンマーク出版)思えば、子どもときから、「勉強」より「外出」の方が好きだった。「学校」より「社会」の方が面白かった。「読む」より「話す」ことが得意だった。つまり、太陽の光の下、自然に触れ、人と触れ合うことが好きだったのだ。それでいてスポーツ人間ではなかった。「球技」が嫌で、「チーム」が疎ましかった。「勝ち負け」より「自由」と「明るさ」とが必要だった。
「危険な暑さ」ゆえ「不要不急の外出」を避けず、酷暑と台風接近の中、へそ曲がりでないつもりの高齢者は、今日も散歩に出かけるだろう。(8/14)