KEIKO KOMA Webサロン

「一に」


5月末からの連続コンサートにはじまり、10月1日の「天を祀る高句麗」からヤマトの神々、真実、宮城の神、時空を超えた愛、11月1日新宿文化センターの「高句麗伝説」と経験し、「愛の戦略」とその実現への戦い方をこの身で体得する日々です。そして迎えるアントレプレナーサロンに心より感謝致します。

先月のアントレにて「これがあれば起業できるものは何か?」といだき しん先生に問われ、「ビジョン」と即答しました。その時の自分の答えは 1、ビジョン 2、マーケット創造 3、スタッフ でした。先生のお答えは「人」でした。その日は「そうか、順番を逆さまに考えていたので大きく動けなかったんだ」と気付きました。しかし、あの後の日々の動きの中でわかってきました。アントレの日の数日前から自分は「これから新しい一歩を踏み出すのはスタッフだ」と明確に考えていたのです。つまり、本当の答えは1番目が「スタッフ」だったのです。ところが先生の問いに答えを出す時には自分が「アントレプレナー」として起業した当日を思い出していました。

平成7年7月7日の夜、テレビ局の上司のわけのわからない話に反射的に「辞めます」と宣言した時のことです。同時にその瞬間、自分は起業をスタートしていました。で、翌日から考えたのが「新しいマーケットを創る」ことでした。たまたま上司にぶちあけた本音は「テレビ局を辞める」ことでしたが、その瞬間に見えていたことは「明日からの新しい動き」です。それは言葉にすると「ビジョン」でした。熊本県内98市町村を2週半歩き回って地域活性化を支援する世界的なテレビ局を創ろうとしていました。自分が属するテレビ局では無理とわかり、上司に発した言葉は「辞めます」でしたが、その言葉の内なる本音は「自分で創る」でした。翌日から全国にその事業を展開すると同時に共感する人々を探そうと歩き始めました。その日から二十年余り経ちました。

今思えばこの5月末頃からの連続コンサートと同時進行で、次のステージ「真のいだきアントレプレナー」を目指すことを考え、冷静に判断するとまさに求めていたのは「スタッフ、パートナー=人」でした。先生のお答えは「人」でしたが、その後、高麗さんのビデオ講演会で、先生は「人」とは言ったけど「共感ではない」と仰ったとお聞きし、腑に落ちました。そして自分の考える「人」と、先生が仰る「人」の共通点と相違点がわかるとさらに理解は深まりました。自分にとって今、真のいだきアントレプレナーを目指す時、「生まれ持った資質」と、いだきしん先生によって運命を解放していただき手に入れた「自由に生きる力」を如何にこの世界で発揮できるかが課題です。

武蔵にはじまった「戦いの奥義」も惜しみなく伝授いただき身体の力は抜け、「いのちのちから」がより一層働く状態に向かっています。「愛は地球を救う」24時間テレビなど先生とご一緒させていただいた様々なチャレンジングな企画も「今に生かせる過去」に昇華する時を感じます。目指すのは「一に」です。

KEIKO KOMA Webサロン
愛で生きてる
KEIKO KOMA Webサロン
仙台高麗屋にて
KEIKO KOMA Webサロン
ヤマハホールにて