「“カメン”します」 ~ある大学生からの電話~
やっと大学に籍を置くことができ、静岡県三島の大学寮に行っているA君が、この土日、芦屋の実家に戻り、二夜連続で電話してきた。そして、開口一番、「カメンします。」と繰り返す。要するに、折角大学生になれたが、この大学では、とうてい良い就職先につながる見込みはないし、やはり早稲田・慶応に行こうと思う。だから、とりあえず語学だけ勉強しておく。要するに、“仮面浪人”として過ごそうと思うというわけだ。何しろ受験勉強に向いていない生徒で、継続して勉強に打ち込めない。精神的にも不安定で、カウンセリングにも通っていた。それでも、やっと自分の志向する「国際政治・軍備」に関する学部のあるその大学にやっと入れたところだったのだが、コロナ禍の下、オンライン授業が続き、やっと先週あたりから三島に行ったのだった。「しんどくて、家に帰りホッとしている。」と漏らす。
「そのしんどさは、カメンなんて言っている間はなくならないよ。」どうして折角入学できた大学で、精一杯がんばろうとしないのか。いまの状況を肯定し、そこである程度成果なり実績をつかんでから考えればいいことで、なぜ自分の「一歩」を否定しようとするのか。それこそ、「疎外」されっぱなしだ。
ところが、親もそうだが、本人も、「学歴社会」の評価軸から自由になれない。いい大学を出て、一流の会社に勤務してこそ、立派な人生ということになるのだ。だから、本人も、「そんなこと言っても、日本では、その価値観の中でやっていくしかないではありませんか!」と反発する。さんざんその価値観ゆえに悩み、苦労ばかりしてきたのにだ。やっと「もう一つの道」に進みかけたばかりなのに、そのことはとんでもない誤りのように思うのだろうか。もう話が通じなくなってしまう。
一緒ではないだろうが、わたしの知人たちに、いくら「いだき」を勧めても敬遠されるばかりのと似ている気がする。しかし、おとなはともかく、まだ若いAにはわかってほしいところだ。このままでは日本は悪くなる一方だから。どう声を掛けてやるべきか、教えてほしいところ。