「わたし」の源泉とパワーを辿る5時間の旅
昨日の二つの講座で裡から湧くパワーこそ「わたし」であり、赤子のように「裡から自然と生まれる欲求・要求」で生きることが自由に生きることであるとわかりました。パワーを失わないこと、常にパワーを増強していくことは いだきしん先生の愛のフィールドに身を置くこととはわかっていても真の「わたし」の生かし方は古い頭が邪魔して行き着けなかったことにも気づきます。
「人は生まれてすぐ泣く。産声は、全身全霊覚醒の瞬間であり、世界に発する最初の言葉である。」 (タンザニアコンサート趣意書)・・・この直後、両親にはじまり、家族や学校、周りの人々からの様々なことばや教育で存在を規定され、それに慣れていくことで「わたし」でない自分を演じ世俗に塗れ、いつしか「わたし」を見失い、彷徨う姿はしっかり覚えています。ある時期からその状態にある「わたし」を自覚していました。いつしかそこから脱却することが生きることの目的になっていました。その後ずっと色々な試行錯誤をしていましたが、やはり繰り返してしまう生き方をどうしたもんかと冷静に熟考している時に日頃はあまり交流がなかった知人が いだきしん先生のコンサートと講座を知らせてくれました。そのおかげでタイミングよくコンサート、講座に滑り込み新たな人生がはじまりました。
当時の仕事はたまたま酒の縁で間違って入ることになってしまった熊本のテレビ局でした。地域や社会を知るには都合の良い仕事でしたが、一方でまともな人間なら必ず人間性がおかしくなることが間違いないほどの奇妙な世界でもありました。当初のいだき講座ではこの奇妙な世界で習慣づいてしまっていた癖が常に大きな課題でした。ただ、たまたまそこにいたことが昨日の応用コースの最後に先生が一言仰ってくださった24時間テレビ熊本城31時間連続演奏、STコンサートなどへと繋がり、今にある可能性について気づかせていただきました。
前半の存在論では神のこと、イエス様のこと、使徒たちのこと、宗教のことをお聞きしましたが、今振り返ればどこかよその土地へ行って「わたし」探しをしているようなものでした。かつて超古い頭が先生の存在さえ対象化していた時代が長かったです。今は講座、コンサートだけでなく先生と繋がっている自覚がある「わたし」は神やイエス様の存在とも会っている、と言えるのでしょうが、「自らの直接経験でわかっていない」ことが次に向かえない状態と捉えています。先生が応用コースの最後に教えてくださった一言と講座後に読み返した狛江コンサートの<まずは「成長し続ける愛」を共に経験しましょう。>とのメッセージが尊い考えるヒントになりました。
「愛の様相」からさらに踏み込んでいただいた「成長し続ける愛」。
ー かろうじて生き延びる愛から、創造する愛、平和を実現する愛まで、様々です。全世界をひとつにし、人類全体の新たな未来を創造する愛もあります。 どなたにも理解されることはないでしょうが、 確かな手掛かり、あるいは兆しはあります。 ー
「わたし」はほんの入り口に過ぎないことがよくわかります。しかし、「わたし」のパワーアップからはじめるより先に進まないこともよくわかります。本日も貴重な経験の場があることに感謝致します。いつもありがとうございます。