「こだわり」を捨てて、新しい思いで!
大藪谷
死ぬまで汚らわしいままで生きたい!
酒と女と金がすべてのF.カラマーゾフはそう言い切る
実は、明日殺されるのであるが……、まだ55歳なのだが
息子のアレクセイは、「生きる資格」とは何かと考え続ける
今朝は、昨日までが嘘みたいに秋めいた奥池の岸辺を歩く
大藪谷を下るルートは、はじめてだと思い込んでいたので
ともあれ東六甲の尾根や谷は、一度は通っておきたかった
少し迷うも、30分ほどで仁川の上流の渡渉点に辿り着く
小さな自己満足、どうでもいい生き甲斐、無益な生き方……
酒と女と金に縁がないわたしの「生きる資格」とは何だろう
出来れば死にたいと思いつつも、気弱で、優しく生きているFくん
体力がまるでなく、「生活保護」の中で、懸命に明るさを保つYさん
甲山高校まで歩くと、ちょうどバスが来る
街へ買い物に行く人でバスに乗る人が多い
明るい家並を通り、まだ午前中に帰宅できた
使命感も「生きる資格」もそのままだけれど
まさか明日殺されること、もあるまいが
まして存在を問うことをしないでもない
23日秋分の日にこんな詩を書いて、『カラマーゾフの兄弟』を再読しながら、いろいろ考えての27日の「存在論」だった。ちっともまとまったことも言えず、ただ聴いていただけだったが、不思議に体が軽くなり、「すべてを越えて、自分とは何かを問う。」というような言葉に力を得、「トシがどうだ」とか、「金はない」とか、言っていても何にもならない、「部分人間」にならないように、いつも広い視野と大きな夢を持って、前進していくだけさ!と軽い気分になったのが、ほんとうにうれしかった。
調子に乗って、「応用講座」で、言葉の呪力ということから、「言霊思想」によって、国家の思うままにされてしまった「特攻隊」のことなどについて、そういうことは肯定できることか、と質問してしまった。ちょうど、『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の言葉のようにも思ったからだ。巧妙な理屈で、民衆を隷属させるように導く言葉が空恐ろしかった。そして、戦後の反体制運動や反戦主義活動に関わった身としては、「言葉の魔力」や美辞麗句に神経質にならざるを得なかった。もちろん、「思い込みを人に押し付ける」というようなことはだめだが、そして、二値思考に拘るものでもないが。
「ホトトギス鳴くや皐月の菖蒲草あやめもしらぬ恋もするかな」(古今集)の修辞に感動していたので、和歌表現の力を冷静に見直したかったのかも。でも、先生は、それは頭の中だけの初恋だろう、と看破され、またまた感服してしまった。だから、特攻隊員の残した遺書や辞世の句と同日の談とすべきでないこともはっきりした。「九死」の状況の中で、家族を思い、未来に心を馳せた若い人たちの言葉をちゃんと読みなおすべきだ、という見解にも納得できた。「保守/革新」というような考えも一度捨てて、柔軟に真実の言葉をとらえ直し、「国語」の輝きを述懐していきたいと思った。ありがとうございました。