「お告げの場」
京都 御所南の高麗屋さんにて出店させて戴きながら、5月1日のビデオ講演会を拝聴していました。高麗さんの一言一言にグッと引き込まれるものがあり、お聞きしている内に、ふっと感じたことを思い出していました。4月28日に30日の高麗屋ランチサロンのメールを戴いた時に、久しぶりに「あ〜、行きたい!」と感じた次の瞬間、大津からじゃ無理だしとお金のことで諦めたのでした。以前も社長室ランチを月に一度開催して下った時に、瞬時に満席になる超人気の社長室ランチに入れなかったことがあり、今思うと何てことをしたんだと冷や汗ものですが、どうしても入りたくてコンサートの開演前のお客様をお出迎いされている高麗さんに「床に座ってでいいので」と、本気で必死でお願いしたのでした。「本音だから」とお許しを戴き、無理矢理参加させて戴いたことがあります。その時、何故にこうまでして高麗さんとランチをご一緒したいのか考えましたがわかりませんでしたが、そのランチの場で「お告げの場にいたかったんじゃない?」と高麗さんに言って戴いた時に、どこかピンとくるものがありました。今回のランチサロンに参加したかったのは、シリアの100回記念高句麗伝説上映会サロンの場にいたかったんだと、ビデオ講演会のお話をお聞きしてわかりました。講演会をお聞きしていると内側から込み上げて来るものがあり、3回お聞きしましたがはっきりとした言葉にはなりません。高麗さんがおられる場にいないといけないのです。おかしな表現になってしまいますが、高麗さんの生命そのものが「高句麗伝説」で未来を紡いでいるから、そこにいることが自分の存在も明らかになっていくと感じます。生命の中心、要。「歴史の縦軸」という御方の存在というのでしょうか。グルジアのホテルの部屋だったでしょうか、上層階のお部屋からある方の運命を見ておられたお話をお聞きした時に、わけもなく涙が溢れて仕方なかったことをはっきり覚えていて、そのことがシリアで既に「別れ」を予知されていたとのお話に、何度も高麗さんを傷つけてしまった経験がある自分の中に、何か別れを誘発する歴史的な因子があると感じるのです。今、乗り越え、変わらないと、「永遠に共に」は実現しないのです。が、先生のコンサート、全回参加を心に決めた時から、お金のこともいろいろ調べ、対処していくと背中を押してくれるように何かが動き始め、6月のコンサート全部参加を実現するように考え、動いていけることが大変ありがたいです。魂がちょっとでも動いたら実現するように頭はたらかせ即行動することを心がけ、変えていきます。今回の上映会サロンの開催にあたり考える機会を戴き、ありがとうございます。チケット販売も内側からの言葉を表現できるよう余計なことを無くします。変わるには先生にお会いするよりありません。明後日からのコンサート、よろしくお願い申し上げます。