憲法改定を!
未だに釈然としないのが、スーダンへの自衛隊派遣だ。戦争が激化した街からの邦人救済のため、速やかな行動をとり、ともあれ無事帰国を成し遂げたことには賛意を表すばかりだが、なぜ民間の力でなく、自衛隊が派遣されたのか。岸田政権の「敵基地攻撃能力の保有」の方針の一環のように思えて、何やらきな臭い。しかも、周りの人も、「日本も英米に頼っていないで、率先して行動すべきでしょう!」と、問題にもならないような顔をしてすましている。そして、だれも政府批判や、民主主義云々の話をしないで、連休のレジャーのことしか頭にないようだ。
そんな中の憲法記念の日。9条がなし崩し的に空文化していることが問題だと思う。10年くらい前に、イダキシン先生に言われて、「日本国憲法前文」を読み返してみて、その崇高な理想にあらためて感心するとともに、なにか空々しい空文のように思えて、「なるほどこれでは現実的な力強さにと欠けているなあ。」と思ったものだった。「決意する」「排除する」「確認する」「信じる」「信じる」「誓う」などの長い文の述語が、あまりにも翻訳口調で、抽象的で、結局何を言いたいのかわからない、これは改定すべきだと考えた。ただ、9条の、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という第一項だけは、いくら理想的であろうと、なんとか保持し、そのように行動していくべきだと確認した。あまりにも、現状とかけ離れているからでもあったが、どうしても「戦争」だけはやめておくべきだと思うから。
わたしは、憲法を作り直すことに賛成だ。もっと日本語らしく、もっと日本人らしさの出た、もっと日本人ならではの「もののあはれ」的な情緒のある平和志向が出たものに。
それには、日本人がもっと公的な発言と私的な雑談を混ぜ合わせたような「会話」が必要だと思う。サブカルチャーとしての上質なおしゃべりがいるのだ。すぐにお笑いに走ったり、暴力に逃げたりしない話し合いが広がる中でこそ、新しい憲法の土壌が育つのだと思う。(5/3)