KEIKO KOMA Webサロン

高麗さんの声、言葉の源


keiko koma web salonの書き込み、ビデオ講演会、メッセージ、そして即興詩と魂にふれる場をつくってくださり、真にありがとうございます。

先日、図書館から「ロシア的人間」を借りて読み始めたところです。冒頭の30ページくらいしか読み進んでいませんが、人間を形成する要素のひとつに自然があり、ロシアの大地には限界がないということや日本という小さな島国とは全く異なる巨大な大陸の自然観は振り幅の広い人間形成に影響しているのかということにも発見あり、大変興味深く読み進めることが愉しみです。

緊迫した世界情勢の中、明日1月11日の三鷹での「高句麗伝説」があることで、いだきしん先生が表現される世界、高麗さんの声、言葉によって広がる救済の場に自らの身を置ける巡りに感謝し共につくる気持ちで参加させて戴きます。

高麗さんの即興詩の声、言葉は言語の枠を超えて、魂を揺さぶり本当の自分を知る覚醒の場であることは海外での高句麗伝説コンサートでたくさん経験させて戴いています。自分の経験からも高麗さんの言葉が日本語であるために、どうしても意味で聞いてしまうことが多く頭で捉えても何も変わらず、外側だけの虚しい世界でぐるぐるしているだけですが、先生の音楽の世界に身を投じていると、頭であれこれやる意識が外れ、突然、高麗さんの言葉が体に飛び込んで来ます。ある言葉のオンが魂の声として心にどーん!と入ってきて、一瞬何が起きたかわからないほどに深く深くに源を経験します。モスクワでの高句麗伝説に参加した時、終演してもなお傍に佇み、手すりをじっと握りしめ涙を浮かべた瞳で舞台の方をじっと見て、再び先生と高麗さんが登場されるのを待っていた小柄な白人のロシア女性が忘れられません。アルメニアでもあるテレビ番組に高麗さんが出演され、コメディアン風の2人の男性が即興詩を高麗さんにリクエストし、高麗さんが詩を日本語で語り始めると2人とも目に涙を浮かべておられたのが心に残っています。高麗恵子さんの存在が歴史の縦軸ということが、パリやウラジオストク、モスクワで出会われる外国人の反応をお聞きすると、なぜそうなっちゃうか動物的感覚だとなぜかわかるのです。どうしようもなく動くものがあります。高麗さんが世界へ向かわれているとき、自分も日本が異国の地であるごとくに「高麗恵子さん」を前面に出して「高麗恵子さん」にふれる機会を広げていこうと考えています。

「お母さんは、来るの?」の高麗さんの一言で母は「こりゃ行かないと」と感じたそうです。私もお金を計算して自分だけ行くことしか考えていませんでした。やれる範囲でやれることだけ考えていたら終わるということが痛いほどわかります。今年は、まるで変わって生きないとダメだということがわかります。アルバイトでギリギリ繋いで行く様な生き方はやめて、新しく自分で仕事を始めます。世界平和に貢献できる生命を生かさなければ、先生と高麗さんに出会えた意味がありません。あれから10年ですが、明日の高句麗伝説に参加できる幸運に感謝します。早朝、母を660ccのスーパーカーに乗せて大津を発ちます。今宵は透き通る様な満月です。

ありがとうございます。

 

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東京カフェ高麗屋にて
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高麗ギャラリーカフェにて
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新年あけましておめでとうございます?