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頭を良くすれば!


あらためて「考える」とはどうすることかと思っていたら、ちょっとわからなくなって、比較検討、因果律、帰納・演繹、具体と抽象、弁証法ではだめなのかと質問したのだった。そのような「形式論理」だけでは、語り得ないものがあること、「分かる」には、別のチャネルもあることなど、自分でも承知していることを再確認してしまった。しかし、その瞬間から、頭が軽くなって、なにか聡明になっていることが体で分かったのだ!「悩み」が解消されたわけではないのに、「悩み」が気にならず、解決の道に向かって、明るく立ち向っていく意志が育ったのだ。やはり「救済」された! ありがとうございます。

「頭が悪いから悩む!」と、応用講座で聞き、実は、働いても働いても、収益につながらず金銭的悩みがつかないのはどうしたことか、(「いだき」受講27年、いろんな危機を乗り越え、体調も崩さず、山に教室に活動して、「お元気ですね。」と言われるのを当然だと思ってきたのに……。)余程、頭が悪いのだ、と思って帰宅したのだった。そしたら、また改めて請求書が届いていて、ドスンと落ち込んでしまったのだった。京都へ行ってる場合ではないのかも、と思ったりしたくらいだった。
しかし、「いだき講座」以外に解決があるだろうか、という思いが強く、必ず「答え」を得て帰るのだ、と強い決意で、昨日の「存在論」に赴いたのでした。(なぜ、昨日の応用講座でお尋ねしなかったのだ、今日は哲学なんだから、場違いじゃないか。いや、必ず参考になることを聞けるはず!)するとまた、先生は、「ここは頭を良くするところだよ。」とおっしゃるではないか。「恐怖心ではなく、ちゃんと理解する。」「頭が良ければ瞬時に解決する。」「金がないなんて言ってられない。」と。「頭を良くする」には、「自分の頭で、崩れない意志で、自由に、考えること」なのだと。じゃあ、論理を追うとはどういうことか、と考えて前述の質問になったのだった。

いやあほんとうに頭がすっきりし、心もちが柔らかくなったのです。後の、「死について」でも、自殺願望と厭世観の持ち主について、どう対処したものやら分からなくて質問したのですが、「死ぬな」ということは、「死ね」といいってると同じ意と聞き、ハッとしました。そして、なにより「ちゃんと出会っていないなあ」と言われたのがショックでした。ちゃんと出会っていくのが、「教師の務め」とまで思いました。感謝感激です。

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