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読書感想文:『貝に続く場所にて』


言葉と時間
芥川賞受賞、石沢麻衣『貝に続く場所にて』を読んで

 

なんとその町から、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで巡礼の道が続いているという。もう25年くらい前に、わたしはコンポステラの教会で行われた「イダキシン・コンサート」に行ったことがあるので、いっぺんに物語に引き込まれていった。あの時以来、「生」と「死」が意識されるようになったから。しかも、聖ヤコブの持ち物は「帆立貝」であり、「帆立貝」は、ドイツ語では「ヤコブスムシェル」(Jakobumuschel)という。だから、その町、ドイツのゲッテインゲンのことを“貝に続く場所”と表現したのだとわかる。「個人は顔や姿でなく、持ち物を通して明らかになる。」(51p)なんていう叙述が光っている。

ゲッテインゲンなんて街のことは名前くらいしか知らず、それがドイツのどこにあるかも分からなかった。「ゲッティンゲンは時間の縫い目の分からない街である。」からはじまって、次第に中世の歴史からヒットラーの暗黒と空襲のすさまじさまで、また周囲の深い森の神秘とつながり、どうやら生と死の交錯する場所であることを描写していく。

語り手の主人公里美は、日本からドイツへ移住し、美術関係の博士論文の執筆に取り組んでいる。しかし、9年前の東北大震災のことと、津波で行方不明になった学友の野宮のことがきになっている。そこへなんと野宮自身が会いにやってくるところから物語は始まる。さらには、この街に留学していた寺田虎彦を思わせる人物も登場する。漱石の『夢十夜』をモチーフにした一種の幻想小説でもある。そして、生と死とがないまぜになって描かれ、深い悲哀と、その昇華を言葉で綴っているところが、震災から真面目に生き続けている人の思いを表現しているようで共感できた。「生き残った者の罪悪感」の消失を主題にするというより、その昇華を狙っているのだろうと思う。

しかし、わたしは、その叙述の詩的表現にたびたび立ち止まった。

風の動き。太陽の位置のわずかな移り変わり。条件が変わる度に、森の貌も移ろう。/樹ははるか高くにそびえる天井を支える柱に変じ、森はゴシック様式の教会の幻を浮かび上がらせた。

プルートは冥王星のラテン語由来の名称で、ローマ神話の冥府の神を表わしている。死者の行く場所。それと関連する惑星が、小径に現れたことにより、遠ざかれていた死が私たちの許に戻ってきたようだ。(63p)

夜明け前や日没後の静かな時間。時折見せる青の対話。

街を歩く旅に、時間の重なりを目は捉えられるようになる

この作品ほど「言葉」と「時間」とを縫い合わせた叙述は珍しい。表現がぐっと深みを増す。わたしには、「書く」ということの修練になった。あるいは、丁寧に語るという点についても。
(2021.8.21.)

 

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