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「悪しき思い」か


今朝「ニュース・ショウ」を見ていたら、若い作家のコメンテーターが、ネット情報だけでとどめないで、すぐにFAXにしたり、プリントアウトしなければ治まらないというのは、「悪しき思い」だといっていた。しかし、ほんとうにそれは悪い習慣なのだろうか。デジタルにとどめず、文字媒体にして、ゆっくり読み、思考に落とし込みたいというのは、もう時代遅れなのだろうか。
今日も、応用講座特別編(第6回)で、「ノートを取っても分からない、ノートを取らなきゃわからない」と矛盾することを先生はおっしゃっておられた。確かに、わたしなど、ノートを取らずに聞いていても、分ったような気分になるだけで、なにかもったいないようにも思うし、さりとて、メモを取っても、後でまとめるときに、さっぱり意味不明ということも多々ある。読書でもそうで、一所懸命読んだはずなのに、すっかり忘れてしまっているもの多いし、傍線まで入れ、ようやくノートを作っても、よく分かっていない場合が多い。
今日のお話、「エンパシー」と「シンパシー」との違いについても、分ったつもりで分かっていないのかもしれない。「対象化しないで、過程を大切に、受容していくこと」が「共感領域に生きる」こととメモは出来たが……。後、言葉で理解すること、正確に表現することが大切だが、記号として記憶していても違うということなど。
こうして確認を取りたくなるのは、やはり「悪しき思い」なのか。

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