KEIKO KOMA Webサロン

「終わらない世界」へ


「存在論」「死について」「ビデオ講演会」ありがとうございます。先生の講座、高麗さんの講演会に身をおけることが、どれほど生き延びていける場であるかを感じ、世俗化した悪い頭では生命落とすと自らの愚かさを思い知ります。存在論では存在を否定することをやってるとの先生のお言葉に、既にこの頭で捉えようとしている傲慢さが粉砕されます。三島由紀夫さんの小説「豊饒の海」を初めて読んだのは22、3歳くらいであったのを記憶しています。内容を理解したとは思えませんが、一気に4部を読み終え、大変感動したことを覚えています。何にそんなに感動したか考えたことがありませんでしたが、あらためて考えると、壮大な流れの中で人間は生きてることを感じたからと思います。しかしながらその流れは、先生がおっしゃる流れではなく、輪廻転生の繰り返しの流れでした。その頃、何かを求める様にして奈良に足繁く通っていました。薬師寺で写経をしたり、観光地化されるずっと以前の飛鳥の地を歩き、その当時の日本の中心であることに思いを巡らせ感動し、飛鳥寺の飛鳥大仏の素朴な、それでいて力強い佇まいに何か受け入れて頂いている感じがありました。またある時は東京の上智大学の教会に神父様の話を聞きに行ったりと、何かを求め、今から思うと高麗さんがいだきしん 先生に出会われ、三鷹から「いだき」を始めてくださり、そのことを生命がキャッチして約10年後に、やっと「いだき」に出会えたことに、「流れ」を感じます。いだき講座は輪廻転生しない生き方とお聞きして、あらためて「根元解決」という高麗さんのお言葉の重みがわかりはじめます。「空」ということはわからずとも、1回1回の先生のコンサートがどれほどのことをされているかを実感できる「存在論」「死について」であります。特に先日の三鷹コンサートを個人の都合、お金で参加、不参加を考えたことは一生の不覚であります。ずーっと続く、終わらない世界、終わらない関係、先生と高麗さんに出会えたことが、壮大な流れ輪廻転生しない世界へと飛翔でき生きていけることが夢の様です。個人の人生で考えているから、言葉が安っぽく小さい言葉であることもわかり、高麗さんから賜りましたお言葉「王を慕い 王と共に在りたく  最も純粋なる高い魂取り戻し  生きる 今」実現していく人生へと高句麗伝説に向かいます。昨日、先生からお声をかけて頂きましたお言葉をしかと受けとめ生命のままに隙なく向かいます。

先生、高麗さん、真にありがとうございます。

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グジ ハンベラ
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成田空港にて
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ウラジオストク博物館の高句麗の遺跡です