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SOS


10年来、連絡を取っていなかった小中学校の時の同級生から突然電話が掛かってきました。2〜3日前に顔が浮かんでたのでタイミングにとても驚きましたが内容はもっと驚きでした。「いやー柴田、ごめんね突然。。何から話していいかわからないんだけど、、、」と緊張と不安まじりで話し始め、身内に不幸があったかお金の相談かと最初は頭を過ぎりましたが聞けば、ここ1〜2年どう生きていけばいいかわからなくなっていて身動きが取れない限界に来ているとのこと。私に相談すれば何かしらの希望の光が見えるんじゃないかと2〜3日悩んだ末に勇気を振り絞って電話をしたとの事でした。気付けば1時間14分も話を聞いていましたが、簡単に書かせて頂きますと小学1〜2年の頃からずーっと”自分は困ってない”、”悩んでなんかない”と周りに表面的には繕いながらも歳を重ねるにつれ、周りに置いていかれる焦りや恥ずかしさを自分で感じるようになり、自分で決める事も出来ないまま高校生の頃のバイトを卒業してからはお父様のお仕事について仕事をしていたそうです。ただお父様が通っていた宗教があったそうなのですが(初耳でした。)、仕事に同行する機会も増えたことにより、その宗教が彼にとり身近なものになっていたそうなのです。次第にそこに通っていてはまずいと感じるようになったそうですが、誰にも相談する事ができず、自分では好きなこともやりたい事もわからず、仕事に行っても体調も芳しくない時も多く、このままでは本当にこの流れにのまれて人生が終わってしまう。。。。今年中に何かしら解決へ向かう決断をしないといけない。。。。そんな時に私の顔が浮かんだそうです。

私の父がいだきしん先生の楽器スタッフをしていたので小学生の頃から海外コンサートの度に(オレゴン〜ギリシャまでですが)学校を休み、コンサートに行っていたため、お土産を買って学校に”ただいま”をしていましたが、いだきしん先生のコンサートに行っていたという認識も彼には無かった事です。
そんな中、生きていく為に何か希望を持てるもの、光を感じるものを何枚も扉がある中から光が差し込んでいる扉を開けるようについ最近感じた事があるものが2つ。そのうちの1つはやった事もない茶道に何故か興味を持ち、地元のガード下で開かれていた骨董市で見つけた抹茶茶碗だったそうです。それが高価なものだったら買えなかったが、2,000円弱だったことで買える金額だったことで購入に至ったことと、自分が興味を持ったことへ自分の決断で進めた嬉しさが人生で初めてだったかもしれないと。もう1つは今日私に電話をしてきた事です。何年も連絡を取っていなかったこともありますが、今まで彼自身が悩みを友達や周りに素直に打ち明けたことがなかったこと、もし私に話しても”いま忙しいから”とか”今の(柴田の)豊かな生活(数年前に私のインスタを見つけてそう感じたそうです。)の邪魔になったらどうしよう”とかマイナス思考に傾け彼を蓋していたものは大きく、相当大変な決断だったことは彼の話を聞いている中でそのままわかり涙が溢れました。電話をして”柴田が提案してくれた事には乗る”と決めていた彼は、当たり前のように仙台コンサートへの参加を決め、22日の午後一緒に東京から仙台へ参ります。電話の最後の方に彼が「雑巾(←身体に例えて)をぐしゃぐしゃって絞ったような感じだわ?余分なものを今(柴田に話したことで)絞ったんだけど、(まだ)エネルギーが注ぎ込まない感じ。その仙台のライブできっとあったかいお湯が注ぎ込まれると思う。」と少し安堵した様子で話してくれました。また、いだきへ向かう道は事故とか電車の遅延など邪魔が入る事が多いから気を付けて何があってもコンサートへ行こうと話すと、「それって例えば親から止められたりとかもあるの?」と聞いてくるので驚きました。もう家にいてはダメだと彼が感じていることは即座にわかり、今夜からウチに泊まることになりました。
簡単に書かせて頂くつもりが長文となり申し訳ございません。いだきしん先生が今日まで”整理”され続けてきて頂いたことで彼が一歩動けた事、新しい次元の世界が開かれていること、その変わり目の今、新しい世界へシフトしているわかりやすい事象として、鈍い自分に訪れた生涯忘れぬ経験となりました。彼の命懸けの電話は大変嬉しかったです。無事にコンサートに参加できますよう、どうかよろしくお願い申し上げます。読んで頂きありがとうございます。

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「高句麗伝説」第3弾
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