CD「高句麗」の詩を聴かせていただき
あれほど雷鳴が轟き大粒の雨がおもいっきり降っているのを見ていると、もはやこわいというよりも空間も身の内も怒涛のごとく一掃されていく清々しささえ感じましたが、そのような天候の中で「高麗恵子語り」「NPO高麗の活動」「ビデオ講演会」とライブ配信にて経験させていただく機会をこのたびも真にありがとうございました。
「高句麗」のCDは「高句麗伝説」のCDと共に毎日聴かせていただいています。この音が流れると空間に透明度が増していって綺麗になり、特に仕事をする場には必須となっています。それはさておいても第一に好きであるので、その音が高麗さんによって詩にあらわされるとは…と大変楽しみでした。ただ、私はてっきり古代という時間軸での高句麗について、その成り立ちや歴史が語られていくのかなぁと思っていた、勝手に想像していた、ということを詩の語りが始まってから気がつきました。まるで違ったからです。今このとき、そして未来、人間はどう生きるのか、誰にとっても最も要であり本質であることを伝えてくださり、頭のブレ意識のズレは正され、一本の柱のように芯が通るのを体感しました。その本質に高句麗は輝いて在るのだと理解します。過去にあった国ではありますが“過去形”ではなく、また今という“現在形”に私たちがいるのでもない、そういう意味で時制という枠の中に人間は生きているのではない。いま、永遠ということ。
続く「NPO高麗の活動 コーカサス編」では、アルメニアで高麗さんが経験された別次元のお話しをお聴きし、空間の層というかのか次元というのか、別がなぜあるのか…と不思議です。自分もコンサートツアーに参加させていただき実際に訪れることができた国々であるのでその時の場面場面を思いだしとても懐かしい気持ちになりながら、同時に、先生と高麗さんがそれらの地へ身を運ばれ、たくさんの困難を乗り越えて「高句麗伝説」を開催されたことの意義の大きさを身に沁み理解しました。人間が次元に分かれて生きるとか、なにかに操られて生きるとか、そういう事すら「いだき」に出会えなければ知り得ませんでしたが、そこから解放されて人間がひとつに生きられる時代がひらかれたとは……言葉では到底あらわしきれない気持ちです。新しい時代をしっかり生きていきます。あの雷鳴のごとく、とてつもない経験をありがとうございます。