存在
今日は土曜日なので、時間に余裕をもって府中の森に到着しました。会場で高麗さんにご挨拶ができて、嬉しいです。
第一部で「胎児」とお聴きし、生まれて初めて父母が男と女として出会い、結婚し、私をこの世に誕生させてくれたことについて考えました。この世に生を受けることの奇跡を、改めて先生のピアノの音の中で考えました。男と女が出会い、愛し合い、精子と卵子が出会い、そこから育まれ胎児となるまでのプロセスを経験しました。胎児である私は、母の胎内で何を感じ、何を世界から聴き取ろうとしていたのだろうか。ただ、耳を澄ますしかありません。やがて、勢いよく重なる渦巻の道を通り抜けると、辿り着いた先は何もない世界でした。原初の光がある世界です。その光は、見たことがない輝きを増していき、一部が終わりました。
「一にも二にも存在を明確にし、美しくあること」(言葉が正確でなかったら申し訳ありません。) 自分の存在を知りたく、探りたくて臨みました。やがて、大きな間違いに気づきました。何か具体的な実態や、実像があるかのごとく探し当てていたのです。○○ができる人、いなくてはならない人のように、役割のように考えていました。見えそうで見えない像は崩れ去り、そうではないことをはっきり分かった瞬間、生きている、そのこと、それ自体が存在であり、美しいのだと分かったのです。追い求めるものではないのだと分かると、涙が溢れます。先生のメッセージが蘇ります。まるで分からず、気づくこともなく生きている人生とは。とんでもないことを行い、気づくコンサートであると、今回ほど気づいたことはありません。ピアノを弾かれる先生のお姿を拝見し、ずっと一貫して行ってきて下さっているのだと、涙で見えず感謝では済まされない気持ちで身を置いていました。一人一人の存在の美しさが、手拍子となり、響き渡る世界です。今、この瞬間、世界に伝播していると夢中で手を叩きました。
コンサートに、初めて頂いた時のラインストーンの付いたマーブリングの服を着て行きました。何年振りでしょうか。淡いピンクのマーブリングの色は落ちても、胸元に輝く透明なるピンクの光は、この世にない透明な輝きを増していました。存在を現す、美しい光です。ありがとうございます。