KEIKO KOMA Webサロン

お祝い


昨夜は仙台の家に三ヶ月ぶりに入ったので、大掃除とお洗濯に明け暮れ、夜も眠れずに過ごしました。見た目は美しい部屋と見えても、目に見えない汚れが見えるととても居られるものではありませんでした。流石にくたびれ切った状態で東京への帰路につきました。途中、先生が高麗神社のお話をされ、その時の薫る香りが恋しくて、突然、行くことになりました。ナビが狂い、なかなか行きつけない高麗神社でした。天皇、皇后両陛下がご参拝くださったので、いろいろなところが変わったことを感じながらも、目に見える新しい建物と重なり、目には見えなくなった幼い頃に父に連れられ入った身内が集う家が見え、とても懐かしく感じました。私は今までの人生の総清算をしに来させていただいた気持ちでした。境内の奥にある高麗家の家がある場所に立つ石碑も今日は総清算ですので、どうしても見たい気持ちでいました。初めて見たのはかなり前です。石碑に刻まれている「亡命」という文字が胸に飛び込み、胸の奥から涙がこみ上げ慟哭となり、石碑の前で泣き伏したことが昨日のように思い出されました。私は亡命者なのだということを受け入れようとした時、目の前の山の向こう、そしてはるか向こう、海を越えた向こうの地が故郷なのだと感じ、海の向こうの遠い故郷を偲ぶ想いが突き上げ、いつの時にか。。。と心に誓った時のことが昨日のように蘇りました。

亡き父も共に歩いているようでした。一本の木に手を当てると、父を感じる香りがしました。歴史という重い覆いに囲まれ、作り物の闇の覆いを被りながらも、高麗であることだけは香りでわかるある何かです。

高麗神社から本当に久しぶりに歩いて若光王の墓に行きました。木々が生い茂り、昔を思い出すのどかな道です。墓の前に着くと、はるか彼方の光に抱かれ、若光王様は生まれ変わり、次に向かうよりないことを伝えてくれました。過去は清算され、光に包まれていると教えてくれました。魂総動員で行くとの一切の濁りも隙もない姿勢を見、行くよりないとわかりました。我が同志よ、共に行くとの号令に魂一斉に集い、動きます。明るく光満ちる墓の前は別世界となっていました。ただ居るだけで喜び生まれ、心地よく楽しいです。

先生が墓の前に佇む私の後ろ姿の写真を撮影してくださり、見せてくださいました。墓がある寺の庭の草木輝く中で、目に飛び込んできた一枚の写真を見た瞬間、私の後ろ姿が、先日の盛岡のコンサートの時に先生の演奏をお聴きしながら見えたマーブリングのおしゃれなビルに見えてしまい、思わず、「マーブリングのビルは建つ」と声が出てしまいました。とっても未来に希望を感じました。若光王墓前の明るい光と未来の光がひとつに重なり、とても心がときめきました。

以前はいつも若光王墓前に来ては若光王様と対話し、どのように世界平和への道を作るかを相談し、方向を見出していました。今はどこででもお会いできるので、ここに足を運ぶことは本当になくなりました。今日は、今までの人生を語りあい清算しました。もう過去はいい、ときっぱりとおっしゃっていただき、真にと頭を垂れ、終わりました。頭を上げた時は次へと向かっていました。

雨に濡れる木々の緑の輝き、潤う大地を先生と共に歩かせていただき、先生はたくさんのエネルギーを身に受け、お身体が変化していることはわかる状態でした。私には濡れ衣を晴らせる時と見えました。作られた歴史も型も価値も全て剥がれ落ち、間もなく真が現れます。今日、先生が身に受けてくださり、多くの作り物は壊れ、真が現る空間が立ち現れます。

とても素晴らしい経験をさせていただき、本当に嬉しくありがたい気持ちいっぱいで帰宅しました。

生命が欲する福島にて先生のサウンドを聴いて育った桃を一気に頂き、そして待望の「北緯40度賛」をドキドキしながら楽しみで淹れさせていただきました。まずはコーヒー豆を見、楽しみます。いろいろな大きさの豆が仲良く一緒に居る様に微笑み生まれました。そしてコーヒーを挽く時の香りを楽しみます。とても本質的な格調高い香りがします。それは香りを嗅げば嗅ぐほどに引き寄せられ、深い森の中に誘われていくようです。思わず、「桓仁県」とつぶやきました。高句麗発祥の地、五女山がある地に入った時、空気の深さ、重厚さで高句麗の地とわかります。歴史的な香りがします。すると「桓仁県」という立て看板が見えるのです。ここは高句麗の地と合点がいきます。その時と同じ体感がしました。この香りの深さはどこへ行くのかと内面深くを辿るのです。私には図形が見えました。世界がひとつになる図形です。北緯40度線が光の道となり、世界がひとつになると見えました。驚喜しました。やっとこの時が来たのですと、大勢の魂の声が合唱しているように聞こえました。

畏れ多く、コーヒーを一口いただきました。重厚なお味と体感に今までにないこの感覚はどのような言葉になるのかを考えます。要が体に入ってくる感覚です。生きる上で最も大切な要をいただいているようです。大きな要の塊を飲んだ体感でした。美味しいことはこの上ありません。深く、重厚であり、それでいて爽やかです。重厚な要の塊をいただいても尚、爽やかな体感とお味は他には味わえないものです。「おめでとうございます」とたくさんの魂と喜びお祝いの挨拶を交わしました。一口いただくと平和への道を考えます。また一口いただき、考えを深めます。

歴史の清算。人生の清算。そして世界を統合するコーヒーの誕生をお祝いし、新しい人生の始まりです。ありがとうございます。

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比叡山より 新しい春は真の春。-2