神性と共に生きる人間
三鷹でのコンサート開催をありがとうございます。大きいホールでの音の響きに伸び伸びと神性な世界が表現され、またホールでのコンサートに参加できることへの嬉しさでいっぱいでした。時空を超えて沢山の方が参加されている事を胸の内にわかります。
神の音はどこか懐かしく、新たに、神の音の中に全ての人の健康な姿、愛、真、富がありました。神性なる世界で生きていた人間であることが甦り、神性を恨むような人間の在り方だけが自然界で孤立し滅びに向かう様が浮き彫りとなります。日本にいながら聖地、聖山まで遥々赴いた体感です。大きいホールならではの体感に感謝と喜びは入り混じります。
第二部では「愛という要素」という表現が為され、神性と愛という切り離せない要素を一部二部で経験できるコンサートのプログラムに感服するのです。どちらかだけでは片手落ち、どちらかで生きると言うこともない神と愛の世界を経験します。
前夜から歴史的にも今も続く女性の恐怖や涙を感じました。定期的に、自分が知らずにいただけの哀しい悲惨な世界の人たちを生命で感じる事が続いています。コンサート第二部では悲しみという言葉で尽きないものが愛へと変わっていくプロセスを経験しました。
神性なる世界の愛を生きて自分が自分である事の意味を実現する事なくしてはどの様な仕事も生活も無意味となります。今まで生きた全ての女性が求めて止まなかったのは今表現されている新しい愛であることが明らかです。神性なる世界に焦点を当てこの世界の愛で生きる事に活路があるこれからです。
コンサートを経験した今日からは既に巡りが変わり、行動が伴わないと不運のように現れます。新しい巡りで神性なる世界を生きていく今日からです。
ありがとうございます。