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EXIT


本日は、狛江での高句麗伝説をありがとうございました。詩や楽器の音、映像の中に、いだきと出会った理由と出口を見ました。

10代の頃から社会に対する己れの無力さを感じていたことを思い出しました。開発という大きな波に、幼少期に遊んだ田んぼや雑木林が呑みこまれ、抗うことのできない大きな力に為す術もなく、単なる個人の悲しみとして、やり過ごされた現実。自分の生まれてきた意味を十分にわからないまま、社会の一構成員としてやがては人生を終えてゆく現実。社会とは、個々の人間の意思とはといつの間にか乖離しながら、まるで意思を持った生き物のように破滅の道に向かううねりであり、人間の存在とは地球にとって悪でしかないのではと、その頃は問いていました。

働きだしてからは、人間の存在意義を問う機会も少なくなり、いよいよ目の前の現実に打ちのめされそうになった時にいだきと出会ったと感じます。

一方、詩に詠まれたように、悲しみを繰り返す人間の悲しい運命が紐解かれた先に、真を現し生きる美しい人間の姿があるとすれば、人間が自然や他の生命と等しく美しい存在になることができるとすれば、それこそが出口と感じました。

なお、終演間際には、自分が個人として抱いてきた悲しみが、実は過去にその土地で生きた人々の悲しみと同じものであったと感じる瞬間を経験しました。

ありがとうございました。

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NPO高麗 東北センターにて
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