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自分を映す鏡


昨日コンサートへと向かうJRのなかで夕暮れにくっきりと浮かぶ富士山のシルエットを見ました。富士山の中腹あたりまではっきりと見えた黒いシルエットに、東京で富士山がこんなにもはっきりと見られることにとても驚き、富士山と三鷹、そして高麗さんの家からも見られる富士山とつながっていく車中の窓辺でした。

はじまりのピアノの倍音の響きになぜか胸がさわぎました。聴いたことのない倍音の響きが一瞬聴こえたように感じたのです。古の日本が先生の音にのって聴こえてくるような神聖な空間です。にもかかわらず、体も頭も眠いのです。きちんと椅子に座っていても、体も頭も眠い状態がありました。

二部はまさに自分を映す鏡です。内面が混乱している状態を自覚するばかりです。争いは子どもの頃からで、あまりに自分と一体化しているため争うことに慣れてしまいました。なぜ、と問いが生まれると、受け容れてもらえないからという気持ちになります。ここまで生きてきて、受け容れてもらえないからとは子どものままだからと書けばわからざるを得ません。でもいつまでもあるのだから厄介です。まさに内面が混乱しているから。。

コンサート中盤、胸のうちが先生の音と共に大きくひろくなっていくのがわかりました。自分の器が拡がっていくように身体で体感していきました。胸が拡がると、生命はひろくて丸くて、混乱など何もなく、どこまでも無限で清らかな空間と一つです。空間と一つにある生命をただそのまま受け容れていると、どうじに身体もまっすぐに伸びていきます。伸びていく身体もどこまでも真っ直ぐで終わりがないのです。体と生命が一致。自分を縛るものはなく、生命優先になれたことが唯一の希望になりました。

コンサートの帰り道で突然転んでしまいました。暗闇に丸まったハンカチが凸凹おうとつのある所に落ちていてそれにつまずいて転んでしまったらしいです。おしゃべりしながら歩いていたのでハンカチに気がつきませんでしたが転ぶときは転ぶとわかっています。自分の今の状態は自分でわかって変えていかなくてなならないのです。骨折も大変な怪我もなく済んだことをありがとうございます。と受け止めています。

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