本音と自我
本音である分野で作ったグループで開催したイベントと26日の存在論がかさなり講座には出ることができませんでした。10回まではやると発足時に自分のなかにはあった10回目の開催でした。不思議にも10回目はわたしだけではなく共に活動に参加してくれたメンバーのお知り合いからも人が人を呼び当日インフルエンザなどで数名キャンセルが出たにもかかわらず過去最多の動員数になりました。開催した店にも大変喜んでもらえ、イベントに来てくださったお客様との一体感は熱かったです。昔という言葉になってしまいますが、先生のコンサートで感じたことを自分の言葉と音で表現させていただいた自主制作のCDがありましたが、ゲストで出演していただいた音のプロの方がこのCDに共感と興味を持ってくださってご自身の言葉でSNSに表現してくださいました。この方の表現のなかに、プログレとあり、調べてみました。先生にCDを作ったときの面談で、自分と同じ人どこかにいるかしれないからさっさと売りに行けばいいと言っていただいてから長い年月になりましたが、本音からはじめたことは様々な出会いを呼び、最後という表現は適切かどうか今はわからなくも、ひとつになっていました。
存在論に出ていないのですが、本音も自我になる。まさにそれは自分のこととしてよくわかります。本音であっても目的意識が強いと自分勝手になっていきます。それでも本音であれば新しい人との出会いが生まれ、先生におっしゃっていただいたわたしと同じ人、すなわち共感を共にしてくださる人とも出会えて行ったこと、今遅くともひとつとなり経験させていただきます。先生のコンサートのこと、この方に伝えています。今、危機の時に繋がっていくように道が開かれなければこの過程も単なる自分の道楽で終わってしまうのです。
この場で表現させていただきありがとうございます。