チケット売り
毎朝淹れるコーヒーを器に注ぐ時、弧を描く動きを見つめていたら、生命と時間は同じと気づきました。今更ながら、ぞんざいに生きていること、大きな間違いに気づくが如く狼狽ています。目に見えない砂時計が、サラサラと無情に落ちていく今の積み重ねが、堪らなく悲しく、愛おしく泣きたくなります。
だからこそ未来に向かって生きるのだと分かります。
チケット売りに苦戦する中、声をかけることで様々なことが分かり始めました。大半の方が避けて通り、反応すらない中で足を止めて声に耳を傾けて下さる方がいると嬉しいです。販売には至らないものの、「いつ?」と聞いて下さる方がいるだけで救われます。ですが販売には繋がらないことを考えつつ、昨夜は応用コースに向かいました。
ピアノの音が、雪解けの光の中で水が流れるが如く、生命が洗われていきます。今までの余計な塊が消えていきます。すると、チケット売りでの自分の弱さが見え始めました。「仕事が」に対して、どうにかして来られないか。当日でもいいから連絡を。もっとその方と向かいあえたのではないかと考えます。偶然声をかけた女性は金曜日なら行けると仰り、その後に行ったスリランカ料理の社長さんと知りました。また、チケットがあることでレストランでも知らない方に声をかけ、先生の話ができ楽しい時間を過ごせることを知りました。あの時もっとこう言えばと、考えることが多いピアノの時間です。その後の応用コースでの可能性とお聞きし、何とか販売につなげたいと考えています。