穏やかな郡山
何故このような歴史的、そんな言葉では軽すぎてどうしようもない「高句麗伝説」が郡山だったのでしょう。何故何はさておき縁もゆかりもない郡山へ入り続けたのでしょう。何故今朝、そんな事言わずに只満席に向かおうよと泣いて訴えている何処かのコンサート当日の夢だったのでしょう(実際には、人の事が気にならなくなった事がうれしくてたまらない昨今です)。立派な言葉を書けませんがこの1ヶ月半は人生を変えました。今は感謝の涙と笑いが溢れてくるばかりです。会場内へは前半のみ入らせて戴いたのですが明らかに郡山で出会った人々、大地、空間はそれですと1音1音が泣き叫びそうになる程の音でした。先生は次々と音で表され解放していって下さり高麗さんの声と言葉は愛です。奥底に時を待っていた魂あり蘇ります。高麗さんから先生のおはたらきの事をお聞きしてきたその通りですと感動する中で会場係として遅れた方々をお席へ案内し、その場に居る幸せを最大に全身で感じていました。いだきしん先生と高麗恵子さんが即興で表現されあらわる瞬間瞬間は勿論郡山、福島といった地域だけに留まらず今の日本、地球上を、人間が人間とし生きられるように根こそぎ変えていく表現である事をこれまでとは全く違う深さでわかりました。本来人間は宇宙空間に生きる生命である事を会場内に着席させて戴くだけでわかっていけるなんて「高句麗伝説」は畏れ多い存在であります。
郡山で開催するプロセスも様々新しい事がありましたが最後にも実感した事があります。終演前にロビーへ出てこられた方々は通常お帰りになりますが驚くほど多くロビーでお買い物をされた方、やはり私もと販売スペースへいそいそと駆け寄った方。モニターを見て会場内の皆様と共にずっと拍手をされている方もおられました。
今はなんとかぎりぎり移住し着地したという安堵と新たな意欲でいっぱいです。思い込みかどうかはこれから自分でわかります。瞬間瞬間変わりながら表現し続ける中で終始一貫貫いていく要が強く美しい在り方を体得しました。先生と高麗さんは真に命懸けで表現しておられるとわかる場は愛でした。空間が明らかに変わったとわかる郡山の朝です。高麗さんの書き込みや講座でこの経験を更に深め、理解していける事が本当にありがたいです。まだまだやる事多くきちんとした文章のアップができずに申し訳ありません。能力をあげていきます。
生命ひとつ。いだきしん先生と高麗恵子さんと出会えたよろこびのままに生きていきます。全ての新しいはじまりに立ち会うことの出来た尊い人生に感謝します。ありがとうございます。