KEIKO KOMA Webサロン

「高麗」の看板


郡山、盛岡での「高句麗伝説」に向かうにあたり、出陣の前のような気持ちで、カフェ晢にて、先生が撮影、編集してくださった映像作品「五女山城」を見させていただきました。アップテンポの五女山城の音楽が流れると、五女山の風が吹きます。映像の中に見える、五女山の木々が風に揺れている様が、生命とひとつとなります。出発にあたり、何よりの経験と感じ、心よりありがたいと感謝します。

鮮やかなブルーのマーブリングのカーテンを眺めながら、ご参加者と会話する何気ないひと時に幸せを感じます。歴史が紐解けていくような会話に、時代が完全に変わったことを自覚します。京都、八坂の地に「高麗」の看板が立ち、「高麗ギャラリーカフェ」をオープンした年のはじめ、帰京する前に、先生からどこか行きたいところがあるか、と尋ねられ、咄嗟に「比叡山」と答えていました。答えている自分が予想外のことを言ったことに一番驚きました。比叡山は中学の修学旅行で行ったきりで苦手な場所であったからです。どうしても行けない場所でありました。その場所に行きたくなる時が来たことに大変驚きました。今でも忘れません。雪が残る比叡山の道を歩いていると、雪解けの香りがしました。長い間、仲違いしていた身内に会いに行くような気持ちでした。懐かしくて涙があふれました。ここは高麗家が代々檀家をしてきた寺の総本山と、心の中でつぶやいていました。この時から、分断の歴史が解決に向かうように動き始めたのではないかと自分では感じています。東アジアがひとつになる道を作りたい悲願を実現する動きを始めると決めた時、京都、八坂の地に導かれ、「高麗」の看板を立てる巡りとなりました。私の気持ちも変わり、あれだけ苦手で嫌がっていた比叡山に足を運ぶ気になったのは、私の内では歴史が変わる程の変化と驚いていました。先生が霊界も霊統も整理してくださり、人間を動かしてきた目に見えない世界を変えてきて下さったので、悲しみを繰り返してきた人間の生き方も歴史も解決に向かえることの凄さがわかればわかる程、やはり、先生が見出されたことは人類史上初めてのことであると深くわかります。今日のサロンでは先日の本栖湖へ行った時のお話から隠し、隠された真が現れる時を迎えたことがよくわかり、今までも一回一回は歴史的なことでありましたが、この度の郡山、盛岡にて開催します「高句麗伝説」は、今までの流れがあり、やっと拓かれた新しい世界のはじまりとなる歴史的な事になると、身が震えます。

アンフィニでの講座の後に先生に「高麗」の看板を書いて頂きました。カフェ晢は「高麗屋」に変わります。東京の本拠地に表に「高麗」の看板が立つのです。初めて先生に「高麗」の看板を書いていただいたのは、高麗恵子スカイロケットセンターの看板でした。金の顔彩が塗られた黄金の文字で書かれた「高麗」の看板をとても表に出す気になれず、地下に立て「建国」との言葉が生まれたのです。この度、東京の地にて初めて表に「高麗屋」の看板が登場します。亡き父は東京は高麗の地と言っていたことが蘇り、先生が書いてくださった「高麗」の文字は先祖代々の魂が共に喜んでいるように見え、大変感動しました。それも初めて戸籍通りの文字で書いていただきました。こんな時が来るとは。。。とたくさんの魂と共に長い歴史を感じました。郡山、盛岡での「高句麗伝説」を前に、高麗屋の看板が誕生し、「祝い」という言葉が生まれます。新しい時代は真あらわる時代です。ありがとうございます。

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モスクワにて
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新宿文化センター 大ホールにて
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京都 高麗屋にて