KEIKO KOMA Webサロン

エロティシズム


昨晩の死について、そして続く本日、ジェンダー講座に参加させて頂けましたこと、本当にありがとうございます。
死を考えることはまだ小学校に入る前、祖父の死を経験したことから始まっているのか、子供の頃から在宅医である父の仕事に付添い、人の最期のときに遭遇する場面や話を聞く場面、死について学ぶ機会を頂いてきていることに影響するのか、死について考えることは自分の人生の中でもとても重要なテーマとなっています。先生の講座のお話で死の瞬間まで生きる時間についてお聞きし、時間についてはとても難しかったのですが、体感としてはとても心静まっていきました。

高句麗伝説の1日目、2日目、そしての死についての後、日々自分のうちに経験する体感と現実の日常とのギャップがあまりに大きく戸惑い、身体の状態も精神状態も定まらず、何をどのように変えていくかの手がかりを掴みたく本日のジェンダー講座に向かわせて頂きました。

高句麗伝説で経験したエネルギーがあれば、周りがどうであれ、人がどうであれ、自らの意思を実現していける方向を感じ、その場では人生賭けていきたいパワーが突き抜けていきました。その瞬間はとても感動的で、幸せなのです。
そのパワーを人との関係の中に継続し、幸せな時を過ごしていきたいと望む一方で、現実はかけ離れていることを高句麗伝説が終わった直後から気づいていきました。1日目の高句麗伝説を経験し、2日目を迎えるにあたっては、正直とても辛い気持ちに駆られていました。人生かけることもなく弱い関係が続くことが辛く、堪え難い精神状態でした。行き詰まり答えを出せない鬱々とした状態で2日目の高句麗伝説に臨みましたが、人に会うと不思議といつもに増して明るい自分自身がいたので、答えに向かっているプロセスにあることだけはわかりました。2日目の高句麗伝説で、人生賭けるか、何もないかどちらかよりないことが腹に決まり、苦しみを脱出しました。なんとなく曖昧な関係は終わりました。
今日のジェンダー講座の中で、男女のことはこれほど哲学的で素晴らしいことだったのかと、まるで今までの自分は稚拙なお遊びをしていたかのように恥ずかしくも感じていきます。先生との対話の中に体感し見出す方向性がありました。意識的にはどうにもならないことですが、生命はここよりなく賭けているその方向性を感じました。自分のこれからの生活も、仕事も全てこの方向性の上にあると感じました。
欲望という言語は近代になって出てきた言葉であり、欲望を刺激して生産していく資本主義社会の体制の中に生まれた言語であることをお聞きし、かつて欲望を満たすという表現を使い、男女関係を表したことのある自分にとって、本当に有難いお話でした。欲望という言語があった以前は、性とは快楽の追求、喜びの追求であったとお聞きし、欲望を捨て、自我を捨て、そこから出てくるのは快楽だけという言葉に驚きました。どうしてもこれまでは快楽という表現は否定的に捉える感覚があったのですが、今日のお話の中で始めて喜びと感じました。快楽を追求することは罪深いという宗教的観念が記憶にあるだけで、快楽という文字を見ていても、喜びよりないことを感じました。
死についても、ジェンダーも、先生のお話くださることを全て理解することは本当に難しいです。難しいですが、難しいことを分かろうとし、何か少しずつでもわかって来ることが面白く感じます。難しいということは、何か平坦に生きては分かり得ない深淵なることが秘められていると感じ、頂上にあることは「真」と仰られた事へと進みたい意欲が湧いてきます。

今日は家を出る直前まで身体が動かず起きれなかった状態とは一変し、エロティシズムをお聞きし体感した今、ふつふつと湧いてくる喜び、パワーがあります。

本当にありがとうございます。

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