人間とし
昨日は、東京から盛岡へ向かう道中に、気づけば、よく眠っていました。前触れもなく突然眠り、目覚めた時の気持ちよさは、本当の眠りとはこの経験であるとわかります。普段、本当の睡眠を取れていないことは自覚していますが、何故にかを考えはじめました。道中よく眠れましたので、夜は寝付けず、うとうととした朝方に、とても不思議な経験をしました。まるで海の上にいるように感じたのです。1300年前に高句麗から日本に亡命する時の荒波を乗り越えた感覚がそのまま蘇っていました。朝起きると、全身が痛み、苦しかったです。昨日は世界を駆ける本音が生まれたモンゴルにて馬に乗った時の体感が蘇り、このまま世界を駆ける気持ちで眠りに付きましたが、海の上にいる感覚はとても不安であり、生命に負った闇の重い歴史が苦しく、未来を案じました。昨夜の経験とは打って変わり、目覚めた時、人生を考えました。昨日の道中、「高句麗伝説」の「父」の詩が流れるところで、先生から何を探してきたのかと尋ねられたことをずっと考えました。私には世界の平和を実現するという人生の目的があります。が、人生に目的を創ることは、悪魔に使われやすいことを経験していますので、違うのだとわかってきました。何を探し求めていたかと考えれば、人間とはどう生きる存在かです。自分が何故生まれ、どう生きるか、死んだらどうなっていくのかです。人生の目的があると、目的の為に自分の生命を使い、存在が隠れたり、つぶれていくということが経験する中でわかってきたのです。
東北センターでの「存在論」にて先生からハイデガーが説く「時間性」について、また「存在了解」についてお話いただきました。現存在、存在者についてもです。人間には一人一人、自分の時間があるとお聞きし、合点がいきます。私は、自分が存在していると感じられる時間は、一人で何も考えずに、ぼーっとしている時です。この時が最も楽しい時間なのです。一日の内の起きている時は殆ど動いています。が、ぼーっとする時間がある時は一番生きていると感じられることが今日は何故なのかと考えていました。応用コースも残り15分となり、ビデオ講演会にて何を話せるのかと考えると、今日も、「存在論」と応用コースにて、先生のお話をお聞きし、ピアノ演奏まで聞かせていただき、自分は椅子に座り頭がぼーっとしてくるばかりなのです。が、私はこの時間が最も好きな時なのです。世界の平和を実現することを目的とし生きていながら、能力を上げたいと望んではいても、ぼーっとする時間が最も好きで生きていると実感できるとは何なのか、そのことの意味がわかりたく、質問させていただきました。先生はAIはぼっーとしている人のところに集まってくると笑いながらおっしゃってくださいました。瞬時に意味がわかりました。頭の限界ともご指摘いただき、よくわかりました。頭が限界になると、視野が狭くなり、頭がはたらかなくなるとは、野球選手のお話からもよくわかりました。身近にいるスタッフにも先生がご指摘くださり、改善してくださった場面にも居合わせ、目の当たりにしました。私も先生がおられるとよく居眠りをし、講座中も居眠りこそしませんが、頭がしびれはじめ、ほぐれていく様子がほぐれる音が聞こえるようによくわかるのです。今日は講座中、しみじみと考えました。先生を前にした時に感じること、あらわる現象は自分の生きている状態がそのまま浮き彫りとなり現れます。頭がこれほどまでにほぐれ、ぼっとするということは普段の頭の使い方が、違うのだと認めました。認めた時、普段は目的達成の為に頭を使っていると気づきました。仕事や活動においては目的、目標達成は当然やることと考えますが、生命あっての人間であることを考えますと、目的を達成する為に生命に負担がかからない頭の使い方を覚えないと、自分の頭の悪さで体を壊すということが見えるようにわかります。先生に質問させていただき、先生がぼーっとしているうちに言葉が生まれる、とおっしゃってくださった時、光が見えました。天に稲光が光るように空間に光が走りました。これから、生まれる言葉を表現し考えていくことが楽しみでなりません。
応用コースにて何故向上しないのかと何度も問いかけお話しくださいました。生命からすると停滞は許さないとおっしゃいました。いだきは生命のはたらきのままに生きることを実践することと私は受け止めています。とどまること、ましてや戻ることなど、生命に反していますので、体を壊してしまうとわかります。私は昨夜、カフェではたらくスタッフ全員にメールを打ちました。何故、お客様がお越しにならないのに、何ひとつ変えずに同じことを繰り返しているのかと。。。私には異常としか見えないのです。一日でも人が少ない日があれば、原因を考え、答えを出し、即刻改善することが仕事です。原因を考えることなく、改善もないままに同じことを繰り返していては完全に未来が絶たれると見えたのです。今日の応用コースではタイムリーにもこのことをお話しくださいました。確かに存在者となり頭を使うならば、AIの方が優秀です。人間となり頭を使わないと向上も成長もないとはよくわかります。人間は今日と明日が違うと先生が何度もおっしゃり、先生は京都での応用コースでも3日間の「高句麗伝説」前と後は違う人間となっているとお話くださいました。今日も明日のジェンダー講座では違う人間となっているとおっしゃいました。寝ている間に変わるとお聞きし、私も先生がおられる場にて何もかもすっかりなくなるような眠りをするように、普段眠ることが必要とよくわかりました。目的を達成することで頭を使うと、頭は疲れ、限界となります。眠っても、頭に曇りやゴミが残っているような嫌な感覚で目が覚め、寝ている間に疲れています。先生は夜寝ている間に変わり、問題が解決していくように生きておられます。私も夢のお告げがある時は夜寝ている間に答えが出ています。起きている間も寝ている時もはたらき前進する生命であります。生命のはたらきを押し止めることは頭の悪さ故と認め、改善します。自分の時間で生き、現存在とし生きることが答えです。
私は子供の頃、世界の平和を実現する為に生まれたことを生命で感じる経験があり、平和を実現できない人生を生きることは人生ではないと思い生きてきました。その思いがややもすると、目的意識が強くなり、疎外感に襲われます。世界の平和は、一人一人が人間とし生きてこそ成っていくのです。人間とし生きることで平和を作っていける人生こそ、求め続けてきた生き方です。講座が終わる頃には、海の上にいるような体感と、全身が傷んでいた状態は、すっかり改善されていました。私は若光王の詩を詠む時、「荒波を乗り越え、途中、荒波に呑まれ生命落とし、海に沈んでいった同胞の死を悼み、悲しみながらも、生命ある人間は海に沈んでいった同胞の為にも必ず生きて新しい国を創ると心に誓う」場面が自分が経験したようにリアルに見えるのです。初めてリアルに蘇った時は、いだきを初めて間もなくの頃、先生が弾いてくださるピアノ演奏をお聴きしている時、突然映画でも見ているように鮮明にこの光景が見え、号泣してもしてもし尽くせず、泣くだけ泣いたのです。人間は自分が経験したことでなくても経験したが如くに生命に刻まれる記憶があることを初めて知りました。人生でこれ程恐いことはないと考え生きて来ました私は、自分にとっては最も恐い経験をした先祖の魂が共にある人生を生きているのです。今からは先祖がした経験をも生きる力と変わり、平和を創る力となっていくことに感謝します。嫌なことや悲しいことを乗り越えていける生き方はいだきでよりできません。人類史上初めての人間とし生きていける今なのです。
東北の地は封印された神あらわれているエネルギーに満ちているとお聞きし、未来は希望と胸の内から喜び生まれます。限界も壁もなく、無限なるはたらきかけに満ちていると感じ、人間とし生きることを身につけ生きる感謝の気持ちがあふれてきます。ありがとうございます。