自分を取り巻く環境は自分がつくっている
97才でひとり暮らす母がそろそろ判断力や体力もだいぶ落ちてきているところ、今まで母の面倒をみてくれていた妹も長引く風邪を引いてしまい、妹と同居をしている妹の姑は認知症が進み、と今までなんとかなっていたことがもうなんとかならなくなって相談を受けていましたが、そんなさなか、奈良へと行く日にまだ京都の宿泊先にいるところ、妹から突然電話が入りました。妹はSNSなどを見て高句麗伝説が関西方面で開催されていることは知っていましたが、私が参加しているとまではあえて知らせていなかったので、電話を受けているところが京都とわかると、やっぱりね、と固い声が返ってきました。妹にしてみれば自分が具合が悪いのと親の問題が噴出し今大変なのに、私は行きたいところへ行っていると思い、やりきれない気持ちになったのはその固い声ですぐ分かりました。100才を前にした親二人のことでこれからどのような選択肢があるのか、まず妹の考えを聞いてから、妹に自分が考え感じていることもそのまま話していくうちに、妹からさいしょに感じた固い声はなくなり、最後は私が京都にいることも受け入れてくれているのを感じました。妹にしてみれば親二人の今後のことは自分の人生をどう生きるのかと同じこと。身内と離れて暮らす私たち夫婦が店をやっているのは生活がかかっていると、このこともよくわかってくれているので、いつでも親元にすっ飛んでいける状況にはないと理解してくれているありがたい存在です。話をちゃんとすればお互いの環境を互いに尊重できる姉妹なのです。SNSで高句麗伝説が京都や琵琶湖で開催されていることをその後に掲載すると、妹からいいね、がすぐに届きました。そして今高句麗伝説8月の開催をお知らせしている方からもあっというまに、いいね!が届きました。自分の内面が環境を作ることをこのたびの高句麗伝説の三日間を通し、SNSだけのことではなく、そのスピードの速さと現れ方に、自分が生きている環境は自分で作っているということをそのままよくわかる三日間になりました。今までの分かり方はどこか中途半端であったとおもいます。コンサートや高句麗伝説で集うときにはとくに顕著に現れます。
妹とのことも場所をあえて言わなくてもよかったのですが、京都に来ていることを隠さなかったのでそこからわかりあえたことがよかったです。
三日間の高句麗伝説をありがとうございました。