なら「高句麗伝説」
ならの地での「高句麗伝説」を、まことにありがとうございます。
コンサート前、やりきれない状態に重苦しいものがあり申し訳ないながらも、奥深くから静かに感謝わき、この場にむかうことは自分だけのことではないと改めてわかりました。
先生の音とひとつに高麗さんが語られる瞬間瞬間、涙はあふれ続け、ずっとこの時を待ち続けていた魂を感じます。先生の太鼓のものすごい最初の一打目に飛び上がるほど驚きました。そのあとの先生の全身全霊の迫真の太鼓の連打は心臓、全身を打ち叩かれている如くの衝撃とともに生命助けよけいなものを祓い叩き出して頂き、頭を垂れます。いろいろなことが頭に浮かんでは消えありのままに認めるよりなく、それよりも高麗さん、先生があらわされる瞬間瞬間、いまここによみがえる魂、存在、ともにある空間、、、感動を超え唯々涙よりありませんでした。国がほろびることをわかり王様が日本につかわしこの地に生きた魂は自分のうちにもあり、王様とともにあたらしい国をつくっていきたいのです。先生の音がはじまり高麗さんのお父様の詩には唯々号泣よりなく、そしてアンコールまで、高麗さん、先生と出会わせて頂いた人生をまっとうに、たくさんの魂の願いを成せるよう生きていくことが生きる道と、深く受けとめます。
ことばに尽くせない、かけがえのない「高句麗伝説」の開催を、心よりありがとうございます。天田敬子