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蘇るもの


昨夜の琵琶湖での高句麗伝説は、すべてはこれから始まると分かり、自分でも何が飛び出すか分からないほど驚喜する時間でした。高句麗軍団で表された先生の音から、全く新しい戦い方を教えて頂いているようで、生命がわくわくと躍動し気づくと楽しくて笑っていました。すべての存在現る世界を高句麗伝説で目の当たりに見て、かつて感じたことがない面白さと計り知れない底力は、これからどうなるのか続きが見たいと、つい思ってしまいます。今日の奈良は、どのような展開になるのか楽しみです。

先生の和太鼓の鼓動は、自らの秘めたる力を甦らせるかのごとく全身を揺さぶります。三鷹での「死について」で、先生の話と自分が重なって以来、何かが大きく自分の中で変わりました。経験しているのにどこか他人事のようであった感覚が、正に自分のこととしてはっきりと認識され、輪郭が明確になっていく過程にいます。なぜか父のことが思い出されます。京都の高句麗伝説が行われる日に父は亡くなりました。ベッドに横になったのもつかの間、妙にはっきりと目が覚めました。時計を見るとまだ三時前、ほどなく電話が鳴り響きました。「パパさんが、パパさんが・・・」母の声、救急車のサイレンの音。妙に静かに私はそれらを受け止め、的確に母に指示をして電話を切り、すぐさま準備に取りかかり動き始めました。千葉に向かう電車の中から眺めた朝日は、今も心に焼きついています。病院から父と共に家に帰り、親戚の方たちがごった返す中、何をしていいのか頭の中が真っ白になりながらも、「これから京都に行ってくる。明日の朝、戻ってくるけれど大丈夫か」と母に尋ねると、「気をつけて行っておいで。私は大丈夫」と、非難の目で眺める親戚を制し送り出してくれたあの日が蘇ります。高麗さんがお見立てくださったマーブリングのあの着物に出会った時から、確実にはっきりと変わりつつあります。いえ、もともとあったものが明確に表れつつあるという表現が正しいです。

友達にマーブリングの着物の写真を見せたら、「私は驚かない。本来持っているものだから。初めて会ったイタリアの時を思い出して」と言われました。忘れていましたが、先生のイタリアでのコンサートツアーで私は、どうしても行きたいバザールの市があり、その場で行きたい人を募り始めたのです。友達とは初めてそこで出会いました。今考えれば、行ったこともない海外でよくやったなと感心します。何か計り知れない底力が突然涌き出て、気づくと動きになっていることを思い出しました。思い出させてくれた友達に感謝します。
一つ一つ思い出すことも、大きな流れの動きとなり未来に向かっていくのです。本日もよろしくお願いします。

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