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高句麗伝説と共に


無事に比叡山に着きました。今夜も鹿がお迎えしてくれました。道中、弘前の「高句麗伝説」を大音量で聴きながらのかけがいのない経験ができた道のりでした。車の中の狭い空間で、先生の音と私の声が聞こえ、車は100キロ超えたスピードで走り、そのスピードと先生の音が一致する時は生命全てで喜び満ちます。弘前の「高句麗伝説」の凄さを多くの方に知っていただきたい気持ちが心から生まれます。この条件で聴いていただき、ご体感いただきたいと心より願いました。叶うことはありませんが、車の中で聴ける方には聴いていただきたいと願います。当日は当然ながら生命をもって経験していますが、東京高麗屋にての聴く会での経験とも全く違うのです。音が生き動いているのです。最高に心地良く、私の人生は最高であることが生命をもってわかりました。この世の幸せとは何かは子供の頃より考えてきたことです。この世の幸せと思われていることは私にとっては、虚しいことでした。この世の悲しみも本当は悲しいことではないのだとわかりました。道中、聴いた弘前での「高句麗伝説」は感動と喜び、愛に満ちています。この瞬間を経験できる人生こそが最高の人生なのだとわかります。後にも先にも、私達より経験できない瞬間なのです。生まれてきた事の喜び、先生に出会えたことの幸せ、生きてきて良かったと生命全てで感謝できる瞬間瞬間の連続でした。夜の暗闇の中で山や森の気配を感じている時には、アナログシンセサイザーの音が聞こえ、今まで認識することのなかった生き物、存在の詩がきこえます。あまりにリアルで、車を運転しながらも震えが走ることもあり、生命全てで経験できた弘前での「高句麗伝説」です。今日は偶然弘前「高句麗伝説」を聴きましたが、仙台「高句麗伝説」を聴いてもきっと大きな発見と目覚めがあったことでしょう。車の運転をしながら、CDを入れ替えることができず、今日は弘前をずっと聴かせていただき、大感動です。封印された神、今まで現れでたことのない、おおいなる存在。。。畏れ多く震えるばかりです。そして先生の太鼓の音と共に「紀元前37年中国大陸。。」との詩が聞こえてくると、その時に戻ったような体感となるのです。その時代に生きていた訳ではないのに、先生の音からその時の空気、エネルギーを感じ、わかることができるのです。武者震いが起こります。東明王様の身が裂かれんばかりの悲しみも生命をもってわかり、ひとつの国が創られる時のエネルギーはとても言葉によっては表現できないことを身をもって感じます。先生の演奏によってわかることができた時、涙あふれました。わかることができると生きる力となります。皆様に私が今日経験したことをご経験頂きたい気持ちばかりがあふれてきます。

昨夜は、本来の予定では月曜日に移動となっていましたが、今日比叡山に行くように体が向かっていました。私はいだき講座が2回開催されると思い込み、夜8時に講座が終わった後では深夜となるので、危ないと感じながらも行く気で用意をしていたのです。メールにてスケジュールを見、午後4時に終わる講座だけと知り、生命が向くままに今日出発することにしました。月曜日に予定していたことも今日の道中に済ませることができました。マーブリング用の衣類の買い出しですが、仲間と二人でわずか30分間で、前回よりも多く買うことができ、たくさんの荷物を持ち、汗だくでありながらもこのスピード感は愉しいと感じ、愉しい時は良い結果が生まれるので、今度のマーブリングも大変楽しみです。愉しいままに比叡山まで快適に走り抜けました。

弘前「高句麗伝説」にて封印された神あらわれ、私はやるよりないという状態となっています。神あらわると人間の生き方が変わることを身をもって経験させていただき、光栄です。このように生きていける人生こそ最高に幸せなのだと今日は道中、感動に震え続け、感謝に震え続けました。亡き父母も共に居ることをはっきりと感じられるのです。実際に弘前ではアンコールにクラリネットを吹いてくださり、「父」を登場させてくださいました。聴く会でも話題になっていましたが、この場面では皆様自動的に号泣してしまうとお聞きしました。アンコールで父を出してくださる先生は粋ですね、と皆様が話していました。粋という言葉は先生から学びました。いつも詠ませていただく「キンモクセイの甘い香りが漂う頃、突然京都に行くことを思い立ち、父にそのことを告げると、父は黙ってうなずき、恵子が帰って来る頃にはキンモクセイの花は散っているね」とは今もある19才の時の日記帳に一字も違わずに記されています。先生にお会いした頃、父のことをこの場面のことでお話させて頂いた時に、「粋なお父さんだね」とおっしゃってくださったのです。粋という言葉は私の胸の内に光となり活き活きと生きるようになりました。弘前でも父に会え、うれし涙がこみ上げていました。私は真の神と共に生きていくことがこれからの人間の生きる道と考えます。やるよりないという状態で17日からの京都、琵琶湖、奈良での「高句麗伝説」動員に向かいます。どれだけ、日本、世界の為に必要であるかが日に日にわかってきました。それこそやるよりないのです。人間であればやるよりないということもはっきりと見えます。わからないとか表現できないからとかは言っているような場合ではないのです。人間であれば生き延びていく道を生命賭け創るのです。弘前での「高句麗伝説」を経験された方は、戻れる訳はなく、やるよりない状態となっているともわかりました。経験したことを活かせずに忘れてしまったように生きることは今後はできないこととよくわかりました。多くの気づき、発見に満ちる高句麗伝説を聴かせていただく道中は最高でした。私にはこの機会が必要であったとよくわかりました。ありがとうございます。

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