おおいなる存在とひとつ 五女山と私はひとつ
三鷹でのコンサート前、いつになく、疲れ果て、どうしたものかと考えつつ、開演を待ちました。アメリカのビザについて毎日動く中で、現実を目の当たりにします。イランにてペルセポリスという聖地にて前代未聞のコンサートを開催させていただいたり、イラン革命後初になりました女性である私が舞台に立つ「高句麗伝説」を開催させていただき、男女が一緒に参加できた歴史的コンサートを開催させていただいたこと、レバノンにて全員が号泣する感動の嵐が吹く「高句麗伝説」を開催させていただいたり、たくさんの新聞、雑誌に記事が掲載されたこと等が問題とみなされることに、世界の危機を身にしみます。先祖の地も同様に簡単には行けない状況にあることを改めて知り、現実は平和は程遠く、終わりゆくことを身にしみ感じる状況です。何かが切れたように、疲れ果ててしまった心身に、先生が演奏されるピアノの音は光となり、差し込んでくれます。光に生命包まれ、平穏な状態を取り戻します。考えることは世界の状況です。自分が直面している状況からも甚く身にしむ不合理さに、やりきれない気持ちがありながらも、必ずなんとかしたい気持ち、平和を作りたい気持ちが強く湧き出てきます。「神性」とのコンサートメッセージタイトルを見ただけで、救われたと感じました。意味がわからないうちにも、安堵したのです。あとから先生に「神聖」よりも上にあるのが「神性」とお聞きし、神の性とは。。。と、とても知りたい要求が生まれます。過去は全て壊れさり、最も神聖なる魂、精神より残らないことを生命をもって経験しました。自我などあっては生きていけず、今まで現れ出たことのない、おおいなる存在と完全にひとつとなることなくして今後は生きていけないことを生命で経験しました。応用コースの時に、イランのトップの方々はこの世であって神の世界で生きているとの表現をお聞きしました。私もこの世で生きながら、完全におおいなる存在とひとつとなり生きていく時が来たと受け止めました。おおいなる存在とつながらない人間の時代は終わったことを実感できた第一部でした。それ故に、例えようもなく疲れていたのかとも感じました。
第2部は、「いのち」です。「あらゆるものに「いのち」が宿っており、魂とも同様にもちいられます。最も大切な大本の意味で使われ、様々、象徴的にいわれます。「いのち」と「いのち」の交わり、一体となった時、どのような言葉で表現できるでしょうか。このような時に愛という表現をした時、愛は対象の枠をこえることはできません。ゆえにこのような大事なことはなかなか言葉には表現できません。尊い「いのち」です。」
深い意味を考えます。いのちより大事なものはないことを改めて深く感じ、先生の表現されることをわかりたい気持ちで聴かせていただきました。疲れ果てた生命は新しい生命を得たように、光によって生まれ変わる経験をさせていただいていると感謝します。あるところで、五女山の地に埋もれ、隠されていた魂というのか、地と一体となった霊魂というのか、艮の金神があらわれてから、現れはじめた存在が一気に現れ、私とひとつになりました。私は五女山とひとつとなりました。この力で不合理な世界を変え、人間が人間とし生きていける良い世界を築いていく強い力が湧いてきました。第一部にて、おおいなる存在と完全に一体となり生きる時代を体感し、第2部では、すべての存在がひとつとなるたとえようもない力が現れ、奇跡は起こると見えました。神が動き奇跡が起こることに賭け、おおいなる存在と一体となり生きていく、新たな生きる中心が決まります。今まであらわることのなかった、おおいなる存在、真の神があらわる時を我が身をもって経験しました。平和にはなり得ないこの世を変え、真の平和を創ることに全てを賭けていきたい気持ちで一杯です。ありがとうございます。