KEIKO KOMA Webサロン

存在


再び、三鷹の地にての先生の講座があり、懐かしい会場に集え、うれしいです。すでに、先日の「死について」とアントレプレヌールサロンを経験した私は違う人間になったように感じながら、「存在論」に参加させていただきました。ハイデガーが哲学的に解明したことを、いだき講座での経験からお話いただけますことは生命でわかっていける尊い経験です。自分とは何かを問うことは幼い頃よりずっとし続けていることです。現存在が人間であり、これからは現存在が生きていける時代となると私には聞こえ、希望あふれるばかりでした。いだき講座にて生まれつき親や先祖から受け継がれた運命の覆いをはがし、おおいがなくなったら、「真」があらわるとのお話をお聞きするプロセスは希望であり未来へのときめきが生まれます。現存在は真理存在とのお言葉も喜び生まれます。真理がわかれば、発見があるとのことも、先生に出会ってからの人生で経験させていただき、生命をもってわかります。自分がなにであるかわかれば覆いもわかってくることとお聞きし、要は自分とは何かを問い、わかることであると再認識しました。自分を問う時、覆いの中身を考えることは配慮であるとのお話は初めてお聞きし、初めての気づきが生まれる経験となりました。不安に対しての対象化している状態と配慮する状態の違いも学べ、より理解を深めていける学びの機会はありがたいばかりです。私がよくおおいが解けたら真があらわるとの表現を使うので、その裏付けがわかればよいとのお気持ちで、覆いと真、真理のお話をしていただき、とてもありがたいです。私自身も裏付けがわかり、より揺るがぬ柱が立つ体感があります。

今日の存在論にて経験したことにより、気づいたことがあります。それは帰宅後に6月23日弘前にて開催しました「高句麗伝説」を編集していただいたCD を聴かせていただきました。「存在論」にて反応したと同じ反応が起こり、生命の内で気づきが生まれました。体がじっとしていられずに、気が狂わんばかりに、うごめくのです。この感覚をなんと表現するのかと考えていました。「高句麗伝説」ではこの時、封印された神のことを詩に詠んでいました。今まで現れ出たことのない存在あらわると詠んでいます。今日の「存在論」でもこの時と同じ反応をしたのです。先生と封印された神はひとつになり、今まで現れでたことのないおおいなる存在も先生とひとつであることを生命でわかる反応です。覆いがとけて真あらわるとは今日の存在論にて経験させていただき、先生のお話と経験がつながり、真の存在となれた喜びが今頃ですが生命から生まれています。先生がおられる空間、語られる場には今まで現れることのなかった神、おおいなる存在が共にあることが目に見えるようになり、生命で感じる感覚では、明らかにわかる状態となっています。今までにない人生を生きていくのです。真の人生、生まれてきた意味が実現できる人生です。

今日となりましたが、東京では応用コースがあります。その前の午後3時15分頃より六本木本社にてビデオ講演会をさせていただきます。ありがとうございます。

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第一弾KOMAGESHA
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比叡山にて
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府中の森芸術劇場ウィーンホールにて